2025-08-29

ユダヤ流有意義な人生 第10章 慈善行為と富 その3 慈善行為はどうやってするべきか

私たちは生活に必要な物をお金でしか買うことができない物質的な世界に生きているので、困っている人をお金で助けることは大切です。しかし慈善行為はお金だけではないことも忘れてはなりません。自分の時間・助言・共感を提供することもできます。例えば、孤独な人を食事に招待することもできますし、若者が抱えている問題に対処するための助言をすることもできます。このような精神的な慈善行為は、困っている人を支え、蘇生させるために不可欠です。

たとえその人が利己的な動機で、あるいは嫌々ながら慈善行為をしたとしても、困っている人を支えるという目的は達成されるのです。もちろんこれは最適な慈善行為ではありません。そして特に、困っている人に恥をかかせたりすることになるかもしれない寄付の場合は、可能な限り匿名で行うのがよいでしょう。

そして最高の慈善行為とは私たちが慈善行為と思わないようなもので、その人がもう他人に頼る必要がないように機会を与えることです。

純粋なビジネスの観点からすれば、慈善行為は単に自分の財源を減らすだけだと言う人もいるかもしれません。しかし実際には慈善行為は最も賢明な投資となるのです。もし、ある人がビジネスで資金難に陥っているのなら、逆に寄付の額を増やしてみるべきです。

経済的な面だけでなく、慈善活動は心と体を何倍にも豊かにしてくれます。たとえ自分には余裕がないと思っていても、慈善活動のためにわずかでも時間を割けば、何倍もの報酬が得られることに気づくことでしょう。自分のことばかり考えている場合よりも、はるかに多くのことが達成できるはずです。

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2025-08-22

ユダヤ流有意義な人生 第10章 慈善行為と富 その2 何がお金の目的か

数ある慈善行為の中で、最も強力なのはお金を通してのものです。なぜそうなのでしょうか。なぜならほとんどの人が自分の価値を計るのに、お金を使うからです。私たちはお金を稼ぐために多くの時間・エネルギー・労働力を費やしているため、お金は生命のエネルギーそのものを表しているのです。ですから、お金を寄付することは、もともと自己中心的なこの物理的世界を洗練されたものにするための最も深い表現形態なのです。

自分の成功は自分だけで成し遂げたものであり、自分の知性と能力がもたらしたものだと感じている人もいるかもしれません。これは富が私たちにもたらす、自分の自我に惑わされないための挑戦なのです。お金は利己的な自我の究極の象徴、つまり偶像になってしまう危険性を秘めているからです。

これはあなたの成功があなたの努力の結果でないと言っているのではありません。ただ座ってお金がやってくるのを待つのではなく、成功のためにあらゆる努力をしなければならないのは言うまでもありません。しかし富を生み出すのは自分の努力だけではないことも認識しなければいけません。

私利私欲に没頭することを許さない力が慈善行為にはあります。慈善行為としてお金を恵むことは、私たちの能力・努力・野心・慈悲など、私たちのすべてを捧げることを意味し、物質を精神化する最も強力な方法なのです。

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2025-08-15

ユダヤ流有意義な人生 第10章 慈善行為と富 その1 なぜ慈善行為をするのか

なぜ私たちは慈善行為をしなければいけないのでしょうか。確かに慈善行為は健全な人間社会の証です。しかしなぜ慈善行為をするのか、なぜ他人と分かち合う必要を感じるのかを理解しておくことも大切です。慈善行為、つまり本来私たちのものであるものを手放すということは人間の本質に反するものではないのでしょうか。

慈善行為の鍵は、それが受け取る側への贈り物であるだけでなく、与える側への贈り物であることを理解することにあります。私たちが食べ物・保護・愛情を必要とするのと同じように、私たちは与えられたものを分かち合う必要があるのです。慈善行為は物質世界を洗練されたものにするための最も単純でありながら最も深い方法のひとつなのです。

慈善行為によって、私たちは物質を精神化し、高潔な意図を実現することができます。すべての人が裕福であったり貧しかったりということがないおかげで、私たちも慈善行為を通して与えることができるのです。私たちが寄付するお金は、本当のところは私たちのものではありません。私たちが寄付することできるように、言ってみれば貸してもらっているのです。より多くのお金に恵まれた人は、より多くのものを与える機会と特権を与えられた人なのです。

ですから、慈善行為は謙虚に行わなければなりません。もし裕福な人が自分は他人に大きな恩恵を与えているのだと考えて傲慢に与えるなら、それは大きな間違いです。好意は自分に対して行われているのです。このことを認識しておくことで、慈善行為はより一層説得力のあるものになるのです。

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2025-08-08

ユダヤ流何事にも動じない方法

皆さんは今普段の生活で何に動じるられますか。こ(れら)のことだけでなく、何事にも動じないようになっている自分を想像できますか。何事にも動じないようになれば、人生はどう変わると思われますか。それでは、何事にも動じないようにするにはどうしたらいいか、すでに実践されていること、あるいは実践的できるのではないかと今思いつかれることはありますか。

この講座では、何事にも動じないようにするための究極の方法とでも言えるユダヤ流の教えを日本の皆さんに紹介するものです。私自身、この教えを実践という形で直接体験することで確認済みです。

私たちが人生で経験することはすべては究極的には善であるという言われると皆さんはどう思われるでしょうか。そんな馬鹿なと思われるかもしれません。しかしすべて人生の本当の目的である霊的成長につながるという意味では、すべては究極的には善なのです。このことが見えないのは、世界を見る自分の「眼鏡」が自我の思考という「汚れ」で曇っているだけなのです。これがこの教えの根幹です。

この信念が単なる頭だけの理解に留まらず、確信となって普段の生活と自分自身をも明るく照らしてくれるような実践的方法もご紹介します。できるだけ多くの方にぜひ知ってもらいたいと強く願っている教えと実践です。そしてこれが単なる頭だけの知識で終わらないように、毎回の学びを普段の生活でも応用してもらえれば、さらに嬉しく思います。

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2025-08-01

ユダヤ流有意義な人生 第9章 仕事と生産性 その3 仕事の大変さという挑戦をどう克服するか

人生で肝心なことは、人間が独立した創造者になることなので、どんな障害も自分の最大限の努力を引き出すための挑戦に過ぎないと考えればいいのです。そして人生そのものが最大の挑戦です。というのも、私たち1人1人は、この残酷な世界の中で、自分がどんな運命をたどるのか知る由もない脆弱な人間だからです。

しかし人生の挑戦は魂の最も深い次元を引き出すものです。あらゆる成長の前には挫折や痛みが付きものです。

それでは、仕事の障害を成長のための挑戦に変えるための自分の中の力を手にするにはどうしたらいいのでしょうか。それは、仕事が自分の神聖な使命を果たすための手段であると考えることです。

私たちは新しい仕事を始める時に、特にイライラを感じるものです。しかしこのイライラをバネにすることで、新しい仕事はより強い決意を持って力強く始めることもできるのです。

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