まだ言語学者をやっていた頃、仕事を尋ねられて、「大学で言語学を教えています」と答えると、決まってさらに尋ねられるのが「いくつ言語を学ばれたのですか」という問でした。「言語を研究するためにはたくさんの言語を学ばなければいけない」という思い込みが多くの人にあるようで、この同じ問にうんざりするようになってからは、「50です」とかといった大げさな数字で答えると、相手は満足してくれているのが見て取れました。(笑)
実際に学んだ言語の数である「13」と答えてしまうと、今度は「どの言語ですか」とさらに聞かれることが予測できるようになってからは、一々全部の言語の名前を挙げるのは怠けて、答をはぐらかすようにもなりました。今から思えば、これらの言語の名前にした一覧を紙に書いて、それを見せるようにしていたらよかったかもしれません。(笑)
皆さんももうご自身の経験からお気づきの通り、他言語・多言語を学ぶのは簡単ではありません。でも多くの人が気づいていないかもしれないのは、他言語・多言語の運用力を維持するのはもっと厄介だということです。
こう考えると、使い道のない言語を維持するために時間とエネルギーを使い続けるのは無駄な投資だということになりますし、そもそも使い道のある言語は維持するために特別な時間とエネルギーを使わなくても、自然に維持できるだけでなく、その運用力が増していくことも自然な結果です。
私にとって言語の一番の使い道とは、その言語で蓄積された(そして増え続けている)知恵や知識の存在です。特に、その言語で書かれた本が伝える知恵や知識が他の言語では得られない場合、その言語の価値は飛躍的に高まります。仮に、その一部は翻訳で読めるとしても、その言語の音は失われてしまいます。
私が学んで本当に良かったと思える言語は4つあります。ヘブライ語(より正確には古典ヘブライ語で、現代ヘブライ語は含みません)、イディッシュ語、英語、ロシア語の4つです。そしてこれらの4つは使い分けています。これら4つの言語を通して得られた(そして得続けている)知恵と知識がなかったなら、私の人生はもっと味気ないものになっていたでしょう。
大雑把に言うと、古典ヘブライ語とイディッシュ語とは知恵を得るために、英語とロシア語は知識を得るために主に使っています。普段の読書量で言うと、英語が4割、古典ヘブライ語が3割、ロシア語が2割、イディッシュ語が1割になります。英語で読んでいるもののおそらく1割程度は日本語訳でも読めるはずです。他の3つの言語で読んでいるもののほとんどすべては日本語訳はありません。
私が日本にお伝えしようとしているユダヤ流人生の知恵の土台となっていて、大学を早期辞職してからエルサレムの専門の学校で3年間体系的に学んだハシディズムの教えと実践をまとめた本のうち、特に日本語だけを読まれる方たちのためにと思って、2025年1月からハシディズムの古典をヘブライ語とイディッシュ語の原典から日本語に訳し続けています。皮肉にも、この翻訳代を月給として出してくれているのが、早期辞職したイスラエルの大学です。これがもう少しで訳し終わり、商業出版がかなえば、次に訳したいと考えているハシディズムの古典がもうあります。これは人生で最も読み込んだ本で、最も影響を受けた本です。