2024-01-26

知識を伝えることと知恵(およびスキル)を伝えることの違い

誰かに何かを伝える際の道具として普通は一番最初に思いつく言語には書き言葉と話し言葉がありますが、どちらがより効果的なのでしょうか。この問に対するユダヤ的な答は場合によりけりです。;-) つまり何を伝えるかによってそれぞれの有効性は異なります。

人生の約30年間を過ごした大学で伝えることを期待され、実際に伝えてきたのは主に知識でした。今から約7年前に霊的覚醒の第1波を経験するようになって、知識よりも知恵に興味を持つようになり、大学を早期辞職し、知識よりも知恵を伝える仕事にこれからの人生を費やすことにした次第です。

それでは、この点に関して知識と知恵にはどんな違いがあるのでしょうか。知識と知恵の比較に言語習得やスポーツ・武術といったスキルを加えることもできるでしょう。以下はこれまでの私自身の経験に先人たちの経験を加味した、知識を伝えることと知恵およびスキルを伝えることの違いの私なりの理解・説明です。

知識の場合、口頭での教えを文字化しても、その教えは基本的にすべて伝わるだけでなく、場合によっては伝わる量も質も増します。これに対して、知恵やスキルを伝えようとする場合、口頭での教えを文字化すると、その教えの一部は(そして知恵の性質によっては多くが)確実に失われてしまいます。

これに加えて、知恵でもスキルでもそもそも言葉だけは伝わらない大切なことがあります。言語外のことは当然ながら言語化することができず(あるいはできたとしても一部しかできず)、したがって文字化にも大きな制限・制約が伴います。

そして直接体験を言語化、ひいては文字化することも困難あるいは不可能です。その直接体験をしたことがある人には言葉で、それも文字で説明しても一部は伝わるかもしれませんが、したことがない人には口頭で説明しても全く伝わらないでしょう。

簡単な例を挙げてみましょう。例えば、一度も愛し愛された経験のない人に愛とは何かを言葉だけで、特に文字だけで伝えられるものでしょうか。いくら頑張っても、一種の精巧な「食品サンプル」になるのが関の山です。厄介なのは、こうした「食品サンプル」が精巧であれば精巧であるほど、「食品」そのものだと勘違いしてしまう危険性があることです。

さらに特に知恵の場合、言語化できる内容でも直接体験でもないとても大切なメッセージがあります。それはその知恵を伝えようとする人の生き様を含む存在感・オーラです。これだけは文字では絶対に伝わりません。同じ口頭でも、オンラインとなると伝わるエネルギーは弱まってしまいますが、それでも、おそらくほとんどあるいはまったく何も伝わらない文字でとは雲泥の差があります。

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2024-01-19

ユダヤ流聖書注解の例 アダムとイブが善悪を知る木から食べてしまう話

聖書を読まれたことがない方でも、創世記の中に出てくるアダムとイブが善悪を知る木から食べてしまう話はおそらくどこかで聞かれたことがあるはずです。

今月から始めた「ユダヤ流聖書注解入門」という毎週1回のオンライン講座では、私がエルサレムでハシディズムを習った恩師たちの恩師に当たるある高名なラビの注解をご紹介しています。そして知識を増やすのではなく、人間の内面性にまで掘り下げた注解から私たちの自我と魂の対立の問題について学び、その学びを普段の生活を変えていくために活かしてもらうことを目指しています。

それではこの師の注解によれば、この話から私たちは何を学べるのでしょうか。それは、この行為によって象徴的に表されている変化の本質とは一体何であり、その前と後で何がどう変わったのか、そして変化の後で生まれた問題を解決するためには何をしたらいいのかということです。

問題の本質は自意識が生まれてしまい、これによって自我に支配されるようになってしまったことです。一般に誤解されているように自我自体が一方的に悪いというわけではありません。ただし自我は矯正する必要があり、しかも自我を矯正するには準備段階が必要になります。

第1段階は食べる前の状態で、他の動物そして生まれたばかりの人間の子供が置かれている段階です。これは自意識の欠如という段階です。ペットや赤ちゃんを観察すれば分かるように、自意識がないということは悪いことだけでなく良いこともあります。それは自分が独立した存在であるという意識がないので周囲と調和しているということと、恥の念といった(特に否定的な)思考の牢獄に囚われていないので自然体でいられるということです。

第2段階は食べた後の状態で、人類の大多数が置かれている段階です。これは自意識という段階です。自意識が生まれたことが決定的になる言語習得の2段階があります。それは親や周囲から呼ばれる名前を自分と結びつけるようになった時と1人称単数代名詞(「私」等)を自分と結びつけるようになった時です。これによって自我による支配が決定的になります。自意識を持たない状態の利点が逆が自意識を持った状態の欠点ということになります。それは自分が独立した存在であるという意識を持つようになるで周囲と不協和音が生じるということと、自我の思考の牢獄に囚われるようになるので本来善であるはずのもの(の一部)が悪に見えてくることです。

自我とは本来幻想にすぎないので、それから発した自意識の維持のためは自我の絶え間ない補強作業が必要になります。その代表的なものは他者からの承認を求め続けることです。フェイスブックで多くの個人ユーザーがその投稿でやっていることの多くがこれです。自意識の犠牲者になるのは、まずは本当の意味での謙虚さで、自己溺愛に墜落する危険性を孕んでいます。次に五感です。このため鈍った五感を刺激するためのものを常に探し求めるということになります。その極端な例が依存症です。

人類の一部は様々な理由・方法から覚醒、つまり自我の死あるいは壊滅的打撃を経験することで第3段階後の状態に至ります。神的意識と呼ばれるものです。これは自我をなくし、言ってみれば意識では「宇宙」の一部になるということです。例えて言えば、幻想に過ぎない独立した波であることをやめ、意識では海の一部になるということです。

それでは自我をどうやってなくすには、あるいは自我が幻想であることに気づくにはどうしたらいいのでしょうか。代表的な方法としては、知性を通することになるハシディズム(および他の非二元論)の学びと内省および瞑想が、心を通すことになる祈りが、そして肉体を通すことになる行動が挙げられます。

自我がなくなった、あるいは自我に支配されなくなったことを確認するために有効は方法は自分に起きていることがすべてが善に見えるかどうかです。見えないとすれば、自我の「雲」が善を覆い隠していることになります。つまり、世界が汚れているように見える場合、世界を見る自分の「メガネ」が汚れているだけだったのです。

ただ、この第3段階の神的意識にはある大きな問題点があります。それは自我がなくなってしまったら、魂が肉体を借りて現世に来ている意味がなくなってしまうということです。つまり、現世での私たちは純粋に霊的な存在だけではないのです。このように考えると、一見すると最終段階のように見えるこの段階は準備段階にすぎないことが分かります。

最終段階となる第4段階は上2つの段階、つまり自意識と神的意識が融合した状態です。これは 矯正自意識という段階です。魂は肉体を直接制御することはできません。直接制御は自我にしかできないのです。自我を否定する代わりに自我を飼い慣らすことで、肉体の支配を巡って魂と争っていた自我を魂の助っ人にするのです。矯正自我意識をどうやって内在化させるかというのはとても大きな問題でここでは書ききれないだけでなく、授業では口頭で簡単には説明したもののの文字化してしまうと誤解される危険性が高く、この誤解自体が危険なので、文字化は避けておきます。

今回その初回分をご紹介したこの「ユダヤ流聖書注解入門」という講座は、約1年間でモーセ五書全体をカバーする予定ですが、いつからでも参加が可能です(それまでの分は文字にまとめた要約をお送りします)。

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2024-01-05

ユダヤ流人生の知恵の応用としてのユダヤ式ライフコーチング

日本に移り住んでから立ち上げた私塾「ユダヤ流人生の知恵」では講座を主にやるつもりでいましたが、せっかく2年間も研修を受けて、その後3年間も実践したユダヤ式ライフコーチングを完全に捨てるのももったいないと思い直し、ユダヤ流人生の知恵の応用として提供することにしました。

イスラエルの大学で教え始める前に一般教養として英語を教えていた時の受講生2人と何と約25年ぶりにある「偶然」から連絡を取り合うことになり、私自身は初めてとなるグループでのコーチングを2023年11月と12月の毎週1回合計8回することになりました。そしてオンラインとはいえ、日本でやるのは今回が初めてとなりました。

このように二重の意味で初めてとなる体験を振り返ってみて、今の思いを一言で要約するとすれば、充実感です。そして私自身エルサレムで今から約6年前にグループで受けて人生が大きく変わったこのユダヤ式ライフコーチングの効果を再確認できたことも今回の大きな収穫でした。

個人・グループを問わず、コーチングをやるのは約2ヶ月ぶりだったので、ひょっとしたら感覚が鈍ってしまっているのではないかと心配もしていましたが、これまでやった中では一番自然にやることができました。これは、日本に移り住んで、42年半ぶりに母と同居し支えるようになってから、これまでにないような魂の平安を感じるようになったことが一番の要因ではないかと勝手に想像しています。

コーチングの基本は個人でやるものですが、今回初めてやることになり、私のコーチング原体験とも言えるグループでのコーチングには個人でのコーチングにはないある大きな利点があることに今回あらためて気づきました。それは相乗効果です。

自我に支配された人生を魂主導の人生の変えていくことを目指すこのコーチングの性質上、自分の思考・発言・行動がどれだけ自我に支配されているかという、これまで誰にも言ったことがないような自分の「恥部」を曝け出し合うわけですから、一体感が生まれないはずがありません。私が受けた時には、同じグループの何人かは一種の戦友にすら思えていました。そしてこの一体感は相乗効果に繋がります。これまでは1つの自我と1つの魂の戦いだったものが、1つの自我と2つの魂の戦いになったからです。

通常のコーチングは金儲けとかといった自我の欲求を叶えることを目的としていますが、このコーチングでは本当の自分を見つけ、それが必要としていることを確認した上で、変化のための「突破計画」を練り上げるというところまでやります。正規8回のセッションが終わった後は、8週間この「突破計画」を1人でやってもらっています。ただし、毎週1回その進行状況を報告する義務があります。

頭だけで学んで理解したつもりになっていないで、学んだことを行動に移し、行動を変えていくということがコーチング全般の最大の力の1つでしょう。

この土台になるのが、コーチから発せられる普通自分1人では思いつかないような問に答えていくことです。この問は私がコーチングを並行して約3年間エルサレムで体系的に学んだユダヤ教ハシディズムの教えに基づいているものです。ユダヤ教ハシディズムと言っても、日本では何のことは想像すらつかないでしょうし、変なレッテル貼りをされる危険性もあるので、「ユダヤ流人生の知恵」という言葉を使っています。

大学でのようにユダヤ教ハシディズムとその教えを直接体験することなく、それについて知識として学ぶだけではなく、このユダヤ式ライフコーチングを通して「ユダヤ流人生の知恵」をもっと多くの日本の皆さんに直接体験してもらいたいという初心を新たにしました。

今回の体験談

福田雄介さん

今回、ユダヤ式ライフコーチング全8回に参加しました。

若い頃は情熱を持ち、がむしゃらに働いて20年。気づくと僅かなお金のために日々何となく仕事して生きているだけの毎日でした。未来に大した希望もないまま漠然と日々が過ぎていました。

あるきっかけで大学時代の恩師でもある先生と再会し、ユダヤ式ライフコーチングを受けることになりました。内容を伝えるのはとても難しいですが、学校や社会に出てから学ぶこととは明らかに一線を画した、本当の意味での知恵に触れる貴重な機会となりました。

コーチとの対話を通じて幻想の自分を取り払い、本来の自分を再発見していきます。コーチからの質問に時に悩み、長い時間考えて自分をあるがままに観察してゆくことで、無意識にしてきた思考、行動の背後にある自我に気づきます。そして本来の自分を体験した時、とても気分が良く感動さえ味わいました。また普段の生活においても負の感情をコントロール出来るようになりました。

長い歴史を持つユダヤの人生の知恵の一部を実体験でき、とても貴重な時間となりました。

C.M.さん(本人の希望によりイニシャルだけにしてあります)

今回、ユダヤ式ライフコーチング全8回を受けました。

コーチングはこれまで受講した経験がなく、何となく難しそうな印象を持っていました。しかし、今回受けたコーチングは、最近自分の身の回りで起こった問題から自身の心を掘り下げて行くスタイルでしたので、取り組みやすかったです。

自分の弱みや課題、そして、強みや理想の状態を理解したことで、職場や家庭で同じような問題に面した時に冷静に対処出来るようになってきました。また、それだけではなく、何となく思い描いていた将来的の夢に向かって、一歩踏み出すことも出来ました。

社会人になって20年超の私が受けても為になったと思いましたが、これから就職活動をする学生さんにも是非お勧めしたいです。自己分析の助けになると感じました。

詳細・お申し込み

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