2025-03-28

ユダヤ流有意義な人生 第3章 教育 その3 今の世代をどう教育すべきか

子供は多感な時期であるため、周りにあるものから影響を受けてしまいます。現代の子供たちは、適切な教育に悪影響を及ぼす多くの影響を受けています。テレビ・犯罪・麻薬など現代のあらゆる誘惑と戦った後では、子供たちの心や魂を育てるための時間やエネルギーはほとんど残っていません。子供たちをお弁当を持って学校に送り出すだけでは不十分で、教育はフルタイムの義務です。私たちは子供が生まれたばかりの頃のように、常に警戒し、子供の精神的なニーズに応える準備をしていなければなりません。

現在、多くの親が仕事に追われているため、学校はより大きな責任を負っています。かつては基本的な価値観は家庭で教えられ、学校教育は仕事に必要なスキルを身につけるために行われていました。今では多くの親が、子供たちにスキルと価値観の両方を教えることを学校に求めています。そのためには学校で道徳教育を行う必要があります。特に今は子どもも大人もより高い価値観を知りたいと願っています。私たちはこのような状況に感謝し、可能な限り効果的で積極的な教育活動を行う必要があります。

数式の価値ではなく、魂の価値を教えるという教育理念に立ち返るしかないのです。

PS: つながる

2025-03-21

ユダヤ流有意義な人生 第3章 教育 その2 どう教育すべきか

教育のあり方を問うことは、どのようにコミュニケーションをとるべきか、どのようにしてビジネスを行うべきか、どうやって生きていけばいいのかと、答は同じです。愛を通してです。愛がなければ、教育はよくても不完全、悪ければ破壊的なものになります。

教育はいくつかの要素で構成されていますが、その中でも最も基本的なものは情報の伝達です。しかし情報は子供の手に渡す道具に過ぎないことを忘れてはなりません。家を建てるには適切な道具や材料があるだけでは不十分であるように、教育には適切な情報があるだけでは不十分なのです。

真の教育者とは、単に事実を教えるのではなく、子供が自分で考えること、つまり教えられた原則に基づいて自分で答を見つけることを教える人です。誰かに頼ってばかりいると、失敗しても自分で責任を取らなくて済むという安心感があります。しかし自分で考える力を身につければ、自分で考えて行動したという深い満足感を得ることができます。

また教えるには謙虚さが必要です。教師は情報の発信者ではなく、より大きな場所から来る情報の伝達手段であることを忘れてはいけません。教える側は知識を伝えることに傲慢であってはならず、生徒に知識を紹介する機会に恵まれているのだと感じなければなりません。

心から出た言葉は心に入るということを何よりも忘れてはいけません。教師としてあなたは自分が言ったことを本気で実行しなければなりませんし、教えたことの生きた手本にならなければなりません。子どもたちは考えと行動を区別できないことが多いので、教えたことに反した行動ができることを示してしまうと、プロセス全体が台無しになってしまいます。

PS: つながる

2025-03-14

ユダヤ流有意義な人生 第3章 教育 その1 なぜ教育は必要なのか

教育とは生計を立てるための技能を学ぶだけではなく、人生そのものを理解することを学ぶことです。人生とは私たちがこの世に遣わされた使命を認識することです。

真の教育とは、人の心の奥底に届くものであり、吸収した情報を使って内面からより生産的になるように力を与えてくれるものです。教育とは、自分自身や友人、家族に真実の世界全体を感じさせ、自分の欲望よりも大きな善にコミットすることです。

このような理想を子供に植え付けることができて初めて、生き延びるための道具を教えることができるのです。なぜ教えるかがどう教えるかの先に来る必要があります。

つまり情報を与えることは教育の1つの単純な要素に過ぎないのです。真の教育、つまり人生の教育とは、子供たちに道徳的・倫理的な生き方を教えることであり、それが個人を支え、子供たちや次の世代のためにより良い世界を作ることにつながるのです。

教育についての個人的な補足と感想

教育とは知識を伝えるだけでなく、人生の知恵も伝える必要があると言い換えることもできるでしょう。知識と知恵の両方が備わっているのが理想的なのでしょうが、知識があっても知恵がない人よりも、知識はなくても知恵がある人の方が、本当に有意義な人生を送るためには有利な立場にあることを数年前から痛感するようになりました。

大学での定職を定年を待たずして辞めたくなったのは、少なくとも私が勤めていた学科では、知識は伝えても、知恵は伝わらないことを肌で痛感したからです。そして人生の知恵を伝えるこのオンライン私塾を日本で始めることにした次第でもあります。

ただ、お金を儲けることに直結しやすい知識の習得に比べて、お金を儲けることには必ずしも直結しない人生の知恵の習得に(も)身銭を切る人が日本でも少なそうなのはとても残念です。

PS: つながる

2025-03-07

ユダヤ流有意義な人生 第2章 幼年期 その4 子供に対する大人と社会の責任

大人は子供から学べるだけでなく、子供に対して責任も持っています。子供の肉体的生存と経済的生存を支える責任の他に、社会の決まりという名の元に、子供の好奇心の芽を潰すのではなく、伸ばしてあげるという大きな責任もあります。潰すのに最適なのは、例えば叱る・罰するといった減点主義であるのに対して、伸ばすのに最適なのは、褒めるといった加点主義です。

減点主義と加点主義についての個人的な補足と感想

皆さんが子供だった頃、ご両親からどう育てられましたか。そして今子育てをされている方は、ご自身のお子さんたちをどう育てられていますか。一言でいうと、減点主義ですか、それとも加点主義ですか。

子育てに限らず、来週からご紹介する教育でも、そして人生全般でも、日本社会と伝統的なユダヤ社会を比べると、一般に前者はより減点主義的で、後者はより加点主義的ではないかというのがこれまでの経験から感じることです。

この連載も含めて、この私塾で日本に皆さんにお伝えしようとしている教えの元になっているハシディズムは特に加点主義的・肯定主義的です。それでは伝統的なユダヤ社会には減点主義的・否定主義的な教えがないかというと、これがあるのです。そしてこの教えを直接受け継ぐラビからを3年間エルサレムで学ぶという経験もしまいした。

これは「ムサル(運動)」と呼ばれる一種のユダヤ倫理学で、もっと簡単な言葉でいうと、性格矯正のための教えです。ハシディズムに反対する連中の間で始まったもので、今でも反ハシディズム系の超正統派イェシヴァではカリキュラムの一部になっています。

この教えを学び続けていると、典型的には以下の2つの反応のうちのどちらかが出てくると言われています。1つは、自分は性格矯正を完了したと思い込んで優越感に浸り、周りの人たちを見下すようになることです。もう1つは、自分には性格矯正は無理だと諦めて憂鬱になることです。私自身、前者の反応がでてくるようになって、当日まだ勤めていた大学の元学生たちの関係が険悪になりました。

このことをあるラビに相談したところ、ムサルの学びを止めるように勧められました。そしてそれから少しして触れ合うことになったのがハシディズムの教えでした。極度の減点主義的な教えに慣れた者にとって、加点主義的な教えは砂漠で辿り着いたオアシスのように思えたものです。

減点主義は闇に焦点を当てることであるのに対して、加点主義は光に焦点を当てることだと言うこともできます。闇に焦点を当てると、闇はますます深くなるのに対して、光に焦点を当てると、闇は自然に雲散霧消してしまいます。真っ暗な部屋にロウソクの炎を灯す場面を想像してもらえれば、分かりやすいでしょう。

PS: つながる