2026-05-08

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その5

利口者は王から手紙を受け取ると、届けてくれた利口者に答えました。「待ってくれ。ここに泊まってくれ。話をしてから考えよう。」

その晩、彼は使いのために大きな宴を催しました。宴の最中、利口者は自分の知恵と哲学で頭をひねりました。「この王が私のような取るに足らない者のところに使いをよこすとはどういうことなのか。使いをよこしてもらう私とは一体何者なのか。王には権力も栄誉もある。このような偉大で畏れ多い王に比べれば、私などつまらない者だ。その私のところにどうして王が使いをよこすのか。辻褄が合わないではないか。もし私の知恵のゆえだとしても、王に比べれば私は何者だというのか。王には賢者たちがいるだろうし、王自身も大いなる賢者に違いない。その王が私に使いをよこすとは一体どういうことなのか。」こうして彼はとても当惑しました。

この利口者は言いました。「私が何を言おうとしているか分かるだろう。世界には王なんてまったく存在しないと考える方が辻褄が合うのだ。王がいるなんて馬鹿げたことを信じている世界の方が間違っている。考えてみてくれ。世界中の人がみな一人の王に自らを捧げるなんてあり得ないことだ。」

利口者の使いは答えました。「私は王からの手紙を持ってきたではありませんか。」

利口者は尋ねました。「お前は王本人から直接手紙を受け取ったのか。」使いは答えました。「いいえ。王の名義の手紙を別の人から手渡されました。」

利口者は言いました。「私の言うことが正しいのを自分の目で確かめてくれ。王なんて全くいないのだ。」そしてさらに尋ねました。「お前は都の出身で、そこで育ったのだな。生まれてこのかた、王を見たことがあるか。」使いは答えました。「いいえ。」

(まさにその通りで、王はごくまれにしかお顔を見せられず、誰もが拝謁できるというわけではないからです。)

利口者は言いました。「私の言うことが明白で辻褄が合うのが分かるだろう。王が全くいないことは確かだ。お前ですら王を一度も見ていないのだからな。」

利口者の使いはふたたび尋ねました。「もしそうなら、誰が国を治めているのですか。」

利口者は答えました。「このことに詳しい私に尋ねているのだから、はっきり話そう。私はいろいろな国を回り、イタリアにもいたことがある。そこではこういう習わしだ。顧問相が七十人いて、一定期間ずつ国を治める。そしてこの職務を国民皆が交代で果たすのだ。」

彼の言葉は利口者の使いの耳にしみ込み、世界には王などいるはずがないという思いは二人とも揺らぎませんでした。

利口者はさらに言いました。「朝まで待ってくれ。世界に王がいないことを、もっとはっきり説明しよう。」

翌朝、彼は早く起きて使いを起こし、言いました。「私と一緒に外へ行こう。王は全くいないこと、世界が皆まちがっていることをはっきり見せてやろう。」

二人は市場へ行き、兵士を見つけて捕まえました。「誰に仕えているのか。」と尋ねると、「王にです。」と答えました。「これまで王を見たことがあるか。」と尋ねると、「いいえ。」と答えました。利口者は使いに言いました。「見なさい。こんな馬鹿なことってあるか。」

さらに軍の将校のところへ行き、同じように尋ねました。「誰に仕えているのか。」「王にです。」「これまで王を見たことがあるか。」「いいえ。」利口者は使いに言いました。「皆が間違っていることを自分の目で見ただろう。世界には王など全くいないのだ。」

王など全くないという思いは二人とも揺らぎませんでした。利口者はさらに言いました。「世界を旅しよう。世界が皆どう大間違いしているか、もっと見せてあげよう。」

二人は世界を旅に出かけ、どこへ行っても人々の間違いを見つけました。王の話を例えにして、「王がいるということが真実であるのと同じくらいこれも真実だ。」と言うのでした。

彼らは手持ちの物が尽きるまで旅を続けました。最初は馬を一頭、次にもう一頭と売り、ついにはすべて売り払って、徒歩で旅をせねばならなくなりました。つねに世界を研究しては、間違いを見つけるのでした。そしてついには歩き続けるだけの貧乏人となり、かつての地位を完全に失いました。そんな貧乏人に目を向ける者はもう誰もいませんでした。

PS: ブログ投稿の配信通知を受け取る

PPS: ユダヤ流人生の知恵を学ぶ

PPPS: 他言語の個人ブログを読む

2026-05-01

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その4

この二人の息子は世間では「利口者」と「純真者」と呼ばれていました。

世の中にも利口者や純真者は何人もいました。けれどもこの二人の場合は、とりわけ際立っていたのです。二人は同じ場所に生まれ、一緒に学んだのに、一人は並外れた利口者、もう一人は大変な純真者でした。

住民台帳には皆名字で登録されていました。けれどもこの二人は「利口者」と「純真者」として登録されていたのです。

ある時、王が住民台帳に目を通していると、この二人の息子が「利口者」と「純真者」という名前で登録されているのを見つけました。二人がそのように呼ばれていることを不思議に思い、王はぜひ彼らを見てみたいと思いました。

しかし王は考えました。「突然呼び寄せれば、とても恐れるかもしれない。利口者はまったく答えられなくなるかもしれないし、純真者の方も恐れておかしくなってしまうかもしれない。」そこで王は思案し、一人の利口者をこの利口者のもとへ、一人の純真者をこの純真者のもとへ遣わすことにしました。

ただ問題は都でどうやって純真者を見つけるかでした。都にいるのは、大半が利口者だったからです。国庫担当者がまさに純真者でした。利口者はその利口さと知性のせいで、国庫を横領しかねないので、国庫担当者に任じるのは望ましくなかったからです。

王はその利口者と純真者を呼び、二人の息子のもとへ遣わし、それぞれに宛てた手紙を託しました。また、二人が住む州の知事にも手紙を託しました。そして王は知事宛ての手紙にこう命じました。二人が恐れないよう、知事が直々に二人へ手紙を送ること。どうしてもというのではなく、王が来るように命じるのでもなく、その気になった場合だけ来ればよい。王はただ二人を見たいと思っているだけだ。そう書くようにと。

利口者の使いと純真者の使いは旅に出て、知事のもとに到着しました。手紙を渡すと、知事は二人の息子について尋ねました。すると、利口者はとても賢く、また金持ちであり、純真者はとても純真で、毛皮のコートをあらゆる服の代わりにしていると告げられました。

知事は毛皮のコートのまま王の前に出すのはふさわしくないと考え、ふさわしい服を用意しました。それを純真者の使いの馬車に載せ、さらに王からの手紙を託しました。使いたちは旅を続け、ついに目的地に到着しました。利口者の使いは利口者に、純真者の使いは純真者に手紙を渡しました。

純真者は手紙を受け取ると、届けてくれた使いに言いました。「何が書かれているのか、私には分かりません。私のために読んでください。」すると使いは答えました。「手紙の内容は口頭でお伝えします。王がお呼びなのです。」「冗談ではないですよね。」と純真者がすぐに尋ねると、「冗談ではなく、本当にその通りです。」と答えました。

純真者はすぐに喜びで胸がいっぱいになり、妻のもとに駆けていきました。「おまえさん、王が私をお呼びだ。」妻が「どうして、何のためにですか」と尋ねましたが、彼は答える暇もなく、喜んで飛び出し、使いと共に旅立ちました。馬車に乗って座ると、そこに服がありました。彼はますます嬉しくなりました。

その頃、知事は不正で告発され、王は彼を解任しました。ずる賢さもごまかしもなく、誠実に国を治められるのは純真者だと王は考えました。そこで、自分が使いをやったこの純真者を新しい知事に任命する命令を出しました。

純真者はその州の都を通らねばならなかったので、王は都の門に人を立たせ、彼が通ったらすぐに止めて、知事に任命したことを告げるよう命じました。そして実際にそうなり、門には人が立ち、彼が通るとすぐに呼び止められ、知事に任命されたことを告げられました。

「冗談ではないですよね。」と純真者が尋ねると、「もちろん、全然冗談ではありません。」と答えられました。こうして純真者は権威と力を帯びてすぐに知事となりました。

今や彼の運は上り調子となり、そのおかげで知性も備わりました。理解も少し増しましたが、彼は自分の知性に頼らず、以前と変わらず純真に振る舞いました。そして純真、誠実かつ正直に国を治め、不正は一切ありませんでした。国を収めるには大きな知性も知恵も必要なく、正直さと純真さがあればいいのです。

裁きを求めて二人の人が現れると、ずる賢さもごまかしもなく、純真そのままに言いました。「お前は無罪。お前は有罪。」すべてを真実で治めたので、人々から大いに愛されました。

彼を心から愛する顧問もいました。ある顧問が愛からこう助言しました。「すでに王からお呼びがかかっていますし、知事は王の前に参上することになっています。きっとあなたも呼ばれるでしょう。あなたは誠実で、不正とも無縁であられます。しかし王は知恵や外国語に話が及ぶことがよくあるのです。それに答えられるように備えるのがふさわしいのではないでしょうか。私が知恵や外国語をお教えするのがよろしいかと思いますが。」

純真者はこの提案が気に入りました。知恵や外国語を学ぶのも悪くないと考えました。そしてすぐに思い出しました。かつて利口な友人が「お前が私にかなうはずはない。」と言ったことを。しかし今や彼はすでに知恵で勝っていたのです。

(彼は知恵に通じるようになっていました。けれどもそれを全く使わず、以前と同じく純真さによってすべてを治めました。)

それから王は、純真者である知事を自分のもとへ呼び寄せました。彼はすぐにやって来ました。

王はまず国の運営について話をしました。不正もごまかしも一切なく、正直でとても誠実に治めていることが分かり、王は大いに気に入りました。

それから王は知恵や外国語の話を持ち出しました。純真者はそれにも適切に答えたので、王はさらに気に入りました。「こんなに賢いのに、これほど純真に治めているとは。」

王はますます気に入り、すべての大臣を取り仕切る首相に彼を任命しました。王は彼の居住用に特別な町を与えることを命じ、それにふさわしい、素晴らしく豪華な城壁を築くようにも命じました。

王は純真者が首相となる任命状を渡しました。命じられた通り、その場所には建物が建てられ、純真者は権威を帯びてこの栄誉を受け入れました。

PS: つながる

2026-04-24

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その3

そうこうしているうちに、利口者が大きな名誉と多くの知恵をひっさげて戻ってきたというので、町は大騒ぎになりました。

純真者も心から喜び、迎えに駆けつけました。妻に「急いで外套を持ってきてくれないか。友を迎えに行ってくるから。」と言い、毛皮のコートを受け取り、急いで出かけました。

利口者は尊大に馬車に乗っていました。純真者は駆け寄り、愛情と喜びを込めて迎えました。「兄弟よ、友よ。ご無事でしたか。神のおかげで、こうしてまた会えましたね。」

けれども利口者の目には、世界そのものがどうでもいいことに見えていました。そんな彼には気狂いじみて見える純真者など、なおさら取るに足らない存在でした。それでも幼い頃に結ばれた深い愛情のために、利口者は彼に親しく接し、二人は一緒に町へ向かいました。

この二人の息子の父親、つまり二人の家主は、利口者が諸国を放浪している間にすでに亡くなっており、残されていたのは家だけでした。元の所に残っていた純真者は自分の父の家に移り住み、受け継ぎました。ところが外国にいた利口者には家を守る者がおらず、家は荒れ放題で、跡形もなくなっていました。戻ってきたものの、利口者には住む家がなく、宿屋に行ってみても気に入らず、そこで苦しみました。

ここで純真者は新しいことを見つけました。自分の家から愛情と喜びをこめて訪れるたびに、利口者が宿屋で苦しんでいるのを見たのです。「兄弟よ、私の家に引っ越して一緒に住みませんか。私の持ち物は一ヶ所にまとめますから、家の残りはすべて好きなようにしてください。」

利口者はこの提案が気に入り、純真者の家に移って一緒に住むことになりました。

利口者はいつも苦しみだらけでした。とても賢く、職人としても、そして素晴らしい医者としても名声を博していたので、ある要人がやって来て、金の指輪を作ってほしいと頼みました。

彼はとても素晴らしい指輪を作り、とても巧みに絵を彫り、さらに木を彫り込んで仕上げました。やがて要人が受け取りに来ましたが、指輪はまったく気に入りませんでした。

彼はとても苦しみました。この木彫りの指輪はスペインならば大いに珍重されることを彼自身よく知っていたからです。

ある時、大切な要人が遠くから取り寄せた宝石と、絵の彫られた宝石を持ってきました。そして取り寄せた宝石の方に同じ絵を彫るよう頼みました。利口者は同じ絵を彫りましたが、彼にしか分からないところで間違えてしまったのです。

要人は宝石を受け取ると、とても気に入りました。けれども利口者は間違いのせいでとても苦しみました。「自分はこんなに賢いのに、今間違いを犯してしまうとは。」と。

医術でも彼は苦しみました。病人を治療する時、自分では「この治療なら絶対に治る。」と確信していました。とても素晴らしい治療だったからです。しかし病人が後で死んでしまうと、世間から「彼のせいで死んだ。」と言われ、彼はとても苦しみました。逆に、治療して病人が治ると、今度は「偶然だ。」と言われ、彼はやはりとても苦しむのでした。

服が必要になった時も同じでした。彼は仕立て屋を呼び、自分の望み通りに仕立てるよう、必死に説明しました。仕立て屋は要領を得て、彼の望み通りに服を仕立てましたが、襟の一つをきちんと揃えないという間違いを犯してしまいました。そのため彼はとても苦しみました。

ここでは誰も気づかないので、服としては立派でした。けれども彼は知っていたのです。スペインでこんな襟をしていたら、滑稽だと思われて笑いものになると。こうして彼はいつも苦しみだらけでした。

純真者が利口者のところへ喜んで駆けて行くたびに、彼が悲しみ、苦しみだらけなのを見るのでした。

「あなたのように賢くて裕福な人はいないのに、どうしていつも苦しんでいるのですか。私はいつも喜びにあふれているというのに。」この言葉は利口者には滑稽に思え、純真者は気狂いにしか見えませんでした。

すると純真者は言いました。「私を馬鹿にしている人たちだって、馬鹿なのです。私より賢いとしても、まずは彼らが馬鹿なのです。あなたのように賢い人なら、なおさらです。私より賢いからといって、それが何だというのですか。」

さらに純真者は声を上げました。「あなたが私と同じ純真さのレベルに達することができればいいのですがね。」

利口者は答えました。「私はあなたのレベルに達することもできるかもしれない。だがそうなったら、とんでもないことに、知性を失うか、病気になるかして、気狂いになるだろう。あなたは一体何者なのか。気狂いではないか。あなたが私のレベルに達して、私のように賢くなるなんて、絶対にありえない。」

純真者は答えました。「神にかかれば、すべては可能です。またたく間に、私はあなたのレベルに達するかもしれませんよ。」

すると、利口者は彼を笑いものにしました。

PS: つながる

2026-04-17

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その2

ここで利口者の話はいったん脇に置いて、純真者の話を始めましょう。

純真者は靴屋の仕事を学びました。純真だったので、習得のためにはたくさん学ばなければなりませんでしたが、それでも完全に熟達することはできませんでした。彼は妻をめとり、この仕事で生計を立てていました。

純真で、仕事にそれほど熟達していなかったので、家計はいつも切羽詰まり、切り詰めなければなりませんでした。休みなく働かなければならず、食べる暇さえありませんでした。

仕事に完全には熟達していなかったので、仕事をしている時だけ、つまり靴屋が普通するように、千枚通しで穴を開け、太い糸を通す時だけ、パンを一切れかじるのでした。それでも彼は、いつもとても陽気で、喜びにあふれていました。

彼は食べ物も飲み物も服もすべて足りていました。「おまえさん、何か食べさせてくれないか。」と妻に言うと、パンを一切れ受け取りし、彼はそれを食べました。「蕎麦粥入りのスープをくれないか。」と言うと、またパンを一切れ受け取り、食べながら、褒めちぎって言うのです。「このスープはなんて美味しく、なんて素晴らしいんだ。」

同じようにして、肉やほかのごちそうを頼むと、そのたびにパンを一切れ受け取っては満足し、まるで本当にその食べ物を食べているかのように褒めちぎりました。パンを食べると、望んだどんな味でも本当に感じられるのでした。これは彼が純真で、とても陽気だったからです。

「おまえさん、ビールを飲ませてくれないか。」と頼んで水をもらうと、彼は褒めちぎりました。「このビールはなんて素晴らしいんだ。」「蜂蜜をくれないか。」と頼んで水をもらうと、また褒めちぎり、「ワインをくれないか。」と頼んで水をもらうと、それを本当にワインのように楽しんで褒めちぎるのでした。

服についても同じでした。夫婦に毛皮のコートは一着しかありませんでした。市場に行くときなど毛皮のコートが必要になると、「おまえさん、毛皮のコートを持ってきてくれないか。」と頼み、妻から受け取るのでした。人前に出るとき羊革のコートが必要になると、「おまえさん、羊革のコートを持ってきてくれないか。」と頼み、同じ毛皮のコートを受け取っては満足げに褒めちぎるのでした。「この羊革のコートはなんて素晴らしいんだ。」シナゴーグに行くときカフタンが必要になると、「おまえさん、カフタンを持ってきてくれないか。」と頼み、毛皮のコートを受け取っては褒めちぎりました。「このカフタンはなんて素晴らしいんだ。」外套が必要になるときも同じで、「おまえさん、外套を持ってきてくれないか。」と頼み、毛皮のコートを受け取っては満足げに褒めちぎりました。「この外套はなんて素晴らしくて、なんてきれいなんだ。」

そして万事がこの調子でした。彼はいつも喜びと明るさにあふれていたのです。

彼が靴を仕上げると、それは三角の形をしていました。技を完全に習得していなかったからです。それでも靴を手に取ると、彼はとても褒めちぎり、妻に満足げに言いました。「おまえさん、この靴はなんて素晴らしいことか、なんてすてきなことか。この靴はまるで蜂蜜や砂糖みたいだ。」

すると妻が尋ねました。「もしそうなら、どうして他の靴屋が一足三グルデンもらうのに、あなたは一グルデン半しかもらわないのですか。」

「それが私に何の関係があるというのだ。それはあちらの仕事、これは私の仕事だ。」と彼は答えました。そして続けました。「なぜ他人の話を持ち出すのか。それよりも、この靴でいくら純益があるか考えてみよう。革の値段はこれこれ、やにと糸の値段はこれこれ、糊の値段はこれこれ、ほかの品の値段はこれこれ。これで純益は十グロシェン。これだけ純益があれば、何も気にならない。」こうして彼はいつも喜びと明るさにあふれていたのです。

世間では彼は笑いの種にされていました。人々は彼を気狂いだと思い、好き勝手に笑いものにして楽しんでいました。彼を笑いものにするためにやって来て、わざと彼と話を始めたのです。

しかし純真者が「笑いものにするのだけはやめてください。」と言うと、人々は「笑いものになどしていませんよ。」と答えました。すると彼はその言葉を真に受けて、話し始めるのでした。純真だったので、これ自体が自分を笑いものにしていることになるのかどうかを深く詮索したくなかったのです。

彼らが自分を笑いものにしようとしていると分かると、彼はこう言いました。「あなたが私よりも賢いとしたら、どうだというのですか。まずはあなたが馬鹿ではありませんか。私が何だというのですか。あなたが私よりも賢いとしても、まずはあなたが馬鹿ではありませんか。」

(これがすべて純真者のやり方でした。ここから元の話に戻ります。)

PS: つながる

2026-04-10

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その1

ハシディズムの教えを含むユダヤ流人生の知恵を伝える効果的な方法のひとつとしてハシディズムの説話が持つ力を再認識していたところ、早期退職したイスラエルの大学のかつての同僚で、ハシディズムの専門家から、ハシディズムのある有名な古典的説話集(ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話)を日本語に翻訳しないかという依頼を受けたのが2024年末でした。

その後、皮肉にもこの大学から月給をもらうという形で、2025年1月から2026年2月までの14ヶ月かけてこの説話集をヘブライ語とイディッシュ語の原典から日本語に翻訳するという仕事を完了させました。これを商業出版するために、企画案をまとめ、今出版社を探しているところです。

出版に先立って、この説話集に収められた13の寓話の中で、個人的に一番気に入っているもの(利口者と純真者の話)を今回から6連載の形で、日本の皆さんにご紹介したいと思います。説話は本来誰にでもわかるような言葉で口頭で語られたというその起源に鑑み、これ以上の説明はしないことにします。


むかし、ある町に二人の家主がいました。二人はとても金持ちで、大きな家を構えていました。それぞれには息子がひとりずついて、同じ寺子屋で学んでいました。

この二人の息子のうち、ひとりは利口者、もうひとりは純真者でした。(間抜けではなく、ただ素直で利口ではないというだけでした。)それでも二人はたいへん仲良しでした。ひとりは利口者でしたが、もうひとりは純真者で、利口ではありませんでした。それでも二人はたいへん仲良しでした。

やがて、家主たちは次第に身を落とし、ついにはすべてを失って、貧乏になってしまいました。残ったのは家だけでした。

息子たちは大きくなっていたので、父親たちは言いました。「もうお前たちを養うお金はない。だから自分の力でできることを探しなさい。」

純真者は靴屋になるために修行に出て、腕を磨きました。

頭が切れる利口者はこんな単純な仕事には就きたくありませんでした。世界に出て、何をすべきか見てみようと考えました。

彼が市場に出かけ、歩いていると、馬具を付けた四頭立ての馬車が駆け抜けていきました。利口者は商人たちに声をかけました。「どこから来たのですか。」「ワルシャワからです。」「どこへ行くのですか。」「ワルシャワです。」

「下働きはいりませんか。」と尋ねました。彼が頭が切れて勤勉だと分かると、商人たちは気に入り、雇いました。こうして一緒に旅をし、利口者は道中とてもよく仕えました。

頭が切れる彼はワルシャワに着くと、考えました。「せっかくワルシャワにいるのに、なぜ彼らに縛られていなければいけないんだ。もっといい場所があるかもしれない。探してみよう。」

彼は市場を歩き回り、自分をここまで連れてきてくれた人たちのことや、もっとよい場所はないかを調べ尋ねました。人々は言いました。「あの人たちは誠実だから、そこにいるのがいい。」

けれども彼らのところにいるのは大変でした。商売で遠くまで出かけなければならないからです。

また歩いていると、服屋の店員たちが目に入りました。服屋の店員にはよくあるように、帽子には色々な飾りを付け、靴の先は尖り、歩き方にも身につけた物にもさまざまな飾りをしていました。頭が切れて鋭い彼は、これがとても気に入りました。かっこよかったからです。そして家の中でできる仕事だったからです。

そこで利口者は、自分を連れてきてくれた人たちのところへ行き、お礼を言いました。もう彼らのところにいるのはしっくりこないし、道中の奉公で恩返しは果たしたと伝えました。

利口者はある店主のもとで働き始めました。店員にはよくあるように、新米のころは稼ぎが少ないわりにきつい仕事をしなければならず、だんだん昇進していくのです。

店主は彼にきつい仕事をさせました。雇われ人によくあるように、顧客の家へ商品を届けるのを任されたのです。服を腕に抱えて運ぶのですが、これは彼にはとてもきつい仕事でした。ときには商品を担いで何階も上がらなければならず、仕事は彼にとって本当に大変でした。

彼は利発な哲学者だったので、こう考えました。「こんな仕事をして何になるのか。大切なのは目的があることで、それは妻をめとり、生計を立てることだ。だが、まだ考える必要はない。そのための時間は将来いくらでもある。今はこの国をめぐり、いろいろな国へ行って、世界を見て楽しむことだ。」

市場に行くと、商人たちが大きな馬車に乗っていました。「どこへ行くのですか。」「ラゴルナです。」「そこへ私を連れて行ってくれませんか。」「分かった。」

彼はラゴルナまで連れていってもらい、そこからイタリアへ船で渡り、さらにスペインへ向かいました。そうこうしているうちに何年も過ぎました。多くの国を旅したので、彼はいっそう利口になりました。

「今こそ目的を見つめるときだ。」と彼は考えました。自分の哲学をもとに、何をすべきか考え始めたのです。

彼は金細工の修行が気に入りました。すばらしく、かっこよく、知恵が込められた仕事だからです。しかももうかるのです。

彼は利発な哲学者だったので、何年も修行する必要はありませんでした。たった三ヶ月で技を身につけ、とても熟練した職人になったのです。そして師匠をも超えるほどの腕前になりました。

それから彼は考えました。「今はこのような技を身につけているが、これだけでは不十分だ。今は尊敬されているが、時が変われば、別のものが尊敬されるようになるかもしれない。」

こうして宝石加工の修行に出かけました。利発さのおかげで、この技もわずか三ヶ月で習得しました。

すると彼は自分の哲学をもとに考えました。「今は二つの技を身につけているが、どちらもやがて尊敬されなくなるかもしれない。いつの時代でも尊敬される技を学ぶのがよい。」

そこで彼は自分の利発さと哲学を頼みに思索し、いつでも必要とされ尊敬される医学を学ぶことにしました。医学を学ぶうちに、まずラテン語とその書き方を学ばなければならないことが分かりました。さらに哲学を体系的に学ぶ必要があることも分かりました。

それも利発さのおかげで、わずか三ヶ月で学び終えました。そして偉大な医師兼哲学者となり、あらゆる知恵に通じるようになりました。こうして偉大な職人、賢人、医者になったものの、世界は彼の目にはどうでもいいことのように思えてきました。

そこで彼は目的を定め、妻をめとろうと考えました。しかし自分に言い聞かせました。「もしここで妻をめとってしまったら、自分の成し遂げたことを誰が知るだろうか。家に戻って見せるのがよい。あの小さな子どもが今はここまで立派になったのだと分かるように。」

こうして彼は家に戻る旅に出ました。ところが道中とても苦しみました。利発すぎるせいで、話し相手が見つからず、自分の目にかなう宿もなく、とても苦しかったのです。

PS: つながる

2026-03-27

集団自我による人類の「平等」

2023年10月から約19年ぶりに日本にまた住むようになった当初にすぐ感じ、その後は強まる一方の思いがあります。それは国と文化の違いを超えて、世界のどこでも多くの人たちは同じだということです。ただし、肯定的な平等ではなく、否定的な「平等」です。それは集団自我による人類の「平等」です。

個人に自我があるように、社会集団にも自我があり、それぞれ個人自我、集団自我と呼ばれています。自我の言う場合、普通前者を指します。後者については英語でですら、詳しい解説はこれまであまり目にしていません。

集団自我とは、一言で言えば、ある社会集団が自らの存続を守るための本能のようなものです。そのためのメカニズムのうちで、普通は明文化されていないものを成長の過程で無意識に習得していくものが、「慣習」という意味での「文化」になろうかと思います。

こうした「文化」は、国を含む社会集団ごとにその具体的な中身、つまり「規則」は異なります。しかしこうしたさまざまな「規則」に無意識のままにしばられ、それを破るような「不届き者」がいれば、集団で「制裁」を加えるという意味では、世界共通であるという結論に達しました。これが集団自我による人類の「平等」という言葉の意味です。

さまざまなレベルの社会集団の中でも、国という社会集団がおそらく私たちを最も規制しているものでしょう。さまざまな国の出身の人たちをこれまでたくさん観察してきた感覚としては、おそらく7割か8割の人たちは「~人」というステレオタイプを多かれ少なかれ反映ているような考え方、話し方、行動の仕方を持っているように思われました。

国という社会集団がみずからの集団自我でその構成員たちを洗脳するための制度化された道具が義務教育、特に国語と国史という科目ではないかといういう思いは強まる一方です。これによって国民意識を培うのです。こうした科目の成績がよくなかった人たちでも、洗脳される度合いという意味では多くの場合「優等生」になるはずです。

集団自我に支配されることなく社会集団の一員であり続けることは可能です。そのための実践的な方法を、これまで所属したあるいは所属させられたどの社会集団でも「落第生」だった私としては、分かりやすい形で、しかも集団自我を脅かさない形で、提示できないものかと現在模索中です。

PS: つながる

2026-03-20

ユダヤ流ユーモア感覚が培う人生力

ユダヤ流ユーモア感覚そのものをどうやって身につけるかという問題はここでは扱わないことにして(講座という形で頭を通して身につくものではないことだけは実験から明らかになりました)、一旦身についたユダヤ流ユーモア感覚がどんな人生力を培い、それによって人生の荒波をどう切り抜けていけるかを、私自身の経験を元にごく簡単にご紹介してみます。

1 不確実性への寛容さ

ユダヤ流ユーモア(より正確には東欧ユダヤ流ユーモア)が育った環境は明日の見通しがいつも曖昧だった歴史の中です。この環境にどう対処してきたかというと、不確実性に対して身構える代わりに、まず笑いで距離を取ることです。

これによって、不確実性は脅威ではなくなり、代わりに、同居人のようになり、ひいては、「分からない?まあ、それも人生。」と軽く受け止められる寛容さが培われるようになるのです。

2 混乱の中で息づく力

混乱を敵とみなさず、むしろ、その真ん中に小さな仮小屋を建てるように、混乱の中で呼吸する術が身につくようになります。

これによって、混乱に飲まれないようにならず、むしろ、混乱の中でふっと息ができる力が自然に培われるのです。

3 アイデンティティを柔らかく保つ能力

ユダヤ流ユーモアの大きな特徴のひとつは、自分自身を笑いの対象にするということです。ただし、卑下にも傲慢にも傾かない独特の柔らかさを保っています。

こうして自分自身を笑うことで、どんな効能が自分にあるかというと、それはアイデンティティの硬さをほぐすことです。硬い自己像とは折れやすいものです。それに対して、柔らかい自己像とはしなりながら成長するものです。そしてユダヤ流ユーモアはこのしなやかさを培ってくれるのです。

4 プレッシャー下での遊び心

ユダヤ流ユーモアが本領を発揮する場面は最大のプレッシャーがかかる場面こそです。

状況が重くても、そこに小さなひねりやウィンクを差し込む力とは、現実逃避ではなく、精神の護身術のようなものです。ユダヤ流ユーモアの遊び心は、重さを軽さへと変換し、圧力が魂をすり減らすのを防いでくれ、これによって、逆境の中でも内側の光を固まらせず、流動性を保ってくれるのです。

PS: つながる

2026-03-13

自分のためか、他者のためか

ある集まりで最近知り合った人たちのやり取りの中で、自分の人生の最大の目的は楽しむことであるという同じ言葉を言ってくれた人が何人かいました。人生を楽しむこと自体は節度をわきまえ、本質を見失わないかぎりは否定すべきものではないはずです。

しかしこの言葉について考えれば考えるほど、楽しむことを人生の最大の目的にするのかどうだろうかという違和感は増す一方でした。この違和感がどこから来るのかについて、その後はっきりするようになりました。

少なくとも一般に言う人生を楽しむという考えは、絶えず変化していく外的要因に依存しすぎているであろうことが違和感の大きな理由のひとつです。私たちの中には誰にも変えることができない恒常的なものが眠っているのです。それは魂の自然な状態としての喜びです。真の喜びとは、外的要因が加わることで、生まれ、維持されていくものではなく、それを覆い隠しているものを取り除くことで湧き出てくるものです。

これ以上に大きな違和感の理由は、これまた一般に言う人生を楽しむという考えは、結局は自分のため、つまり自我の様々な欲求のいずれかを叶えることによって得られるものであろうことです。これまた、このこと自体は、節度をわきまえ、他者の犠牲の上に立ったものでないかぎり、基本的には否定すべきものではないはずです。

しかしこれだけで終わってしまうのでは、私たちがこの世に生を受けた意味、つまり人生の使命を全うすることにはつながらないことになります。そうなると人生というせっかくの機会を十分活用することなく終わってしまいかねないのは、残念すぎるとしか思えないのです。

人生の使命とは、他者のために何ができるかということだと言い換えることもできます。これまた残念ながら、自分の使命に気づくことなく、人生を終わってしまう人も少なくはずです。これだけ大切なものなのに、生まれてくる時にへその緒にでも人生の使命を書いてくれていればよさそうに思えるかもしれません。でも、人によってそれぞれことなる人生の使命を自分で見つけること自体がすべての人に共通な人生の使命であるという教えもあります。

自我の欲求を叶えることによって得られることが楽しみだとすれば、他者のために奉仕することは、魂の必要性を叶えることになり、それによって得られるものは喜びということになるのではないでしょうか。皆さんの中にはここである矛盾を感じられる方もおられるかもしれません。ここでの喜びは外的要因から来るものではないかという矛盾です。

しかしこれが矛盾と感じられるのは、自分と他者とが別物であるという自我の幻想のせいなのです。例えて言えば、海の波が空想上の境界線を作り上げて、自分と他の波とを分けるようなものです。実際は波は海の一部にすぎないのです。

ここでいう他者のために奉仕するとは、自我の幻想を打ち砕くことにもつながります。そうなると、本当の自分を覆い隠しているものを取り除くことになり、上で簡単に説明した通り、本来の状態である喜びが湧き出てくるということになり、矛盾もなくなります。

以上、ここで言う楽しみと喜びは本質的に異なるものであることがお分かりいただけたことを願っています。いずれにせよ、人生のいずれかの段階で、楽しみから喜びへ移行することができれば、しめたものです。その後の人生はまったく別の意味を持ち始めることになるはずだからです。海にようこそ。と言っても、もともと海の一部のままであり続けていたのですがね。(笑)

PS: つながる

2026-03-06

ユダヤ古典文献の翻訳を通した将来の日本への投資

複数の言語を学び、知っていると言うと、大体決まって返ってくる言葉のひとつが、翻訳をしているか、あるいは翻訳をしたら、というものです。確かに、金銭的必要に迫られて翻訳(そして通訳)をしたことはこれまで何度もありましたが、自ら進んでやりたいと思える仕事ではありませんでした。それが、ある偶然が重なって、ある翻訳を頼まれて引き受けることになり、翻訳に対する味方が大きく変わりました。そして今後ずっと続けていきたいとすら思うようになったのです。

2024年の末頃、ユダヤ流人生の知恵ということで日本に伝えようとしている教えを伝えるためにも効果的な方法としてハシディズムの説話の力を痛感していたところに、早期辞職したイスラエルのかつての職場の同僚から、ハシディズムの有名な古典的説話(より正確には寓話)集をヘブライ語(とイディッシュ語)の原典から日本語に翻訳しないかと頼まれたのです。

これは願ったり叶ったりのことで、責任の重さを感じつつも、引き受けることを即決しました。その後、2024年12月末から1日3時間、週4日という速度で進め、全部を翻訳し終えたのが7ヶ月後、そして全部の文体を磨き直し終えたのがさらに7ヶ月後の2026年2月末でした。これからは日本の出版社探しが待っています。

この寓話集は単なる翻訳の域を超えて、ヘブライ語とイディッシュ語の原典をそれぞれの言葉の響きを含めて深く読み込む必要があったため、その内容に深い影響と感銘を受けました。そしてこの翻訳をしている間に浮かんだ思いが、翻訳を終える頃までには確信に変わりました。

それは、ユダヤ古典文献、より正確には、日本に伝えたいと思ってきたユダヤ流人生の知恵の元になっているハシディズムの教えのさらに元になっている古典文献をヘブライ語(とイディッシュ語)から日本語に翻訳することを通して将来の日本に投資するということです。

なぜ将来の日本かというと、これまで数年にわたる試行錯誤の結果、この知恵をもっと多くの人が受け入れてくれるための器が、残念ながら今の日本にはまだ整っていないと結論付けざるをえないからです。こればかりは間違っているといいのですが。

翻訳、それもしかるべき信頼できる出版社から出したものであれば、こうした古典文献に興味を持ってくれて、ひいてはそれに基づいた教えにも興味を持ってくれるような器を備えた人たちが現れるまで、辛抱強くずっと待っていてくれると思ったからです。

こう考えて、もう次に翻訳したいと以前からずっと目をつけていたある古典文献を最終的に決めました。上の寓話集を翻訳し終えてすぐに神戸に出かける機会があって、その際にはずっとお世話になってきた神戸在住のラビとこの件について相談したところ、精神的な支援だけでなく、もっと実質的な支援まで提案してもらい、大きく励まされると共に、責任の重さも改めて痛感しつつ、ラビの元を後にしました。

PS: つながる

2026-02-27

存在感とエネルギー

オンライン、より具体的にはズームでしか会ったことのない人に、実際に、つまり三次元で対面することになったら、その人から伝わってくるエネルギーにどんな量的・質的違いを感じるか、という体験を、それも数十人規模でする貴重な機会を今週持つことができました。

ある人からの熱い勧めで去年9月に加入した、日本全国に会員を約3万人も擁するオンライン・コミュニティーの全国大会が神戸で開催されるというので、それに参加して来たのです。加入以来オンラインで様々な頻度・密度で知り合うことになった数十人の方たちとも今回始めて対面することになりました。

結論を最初に一言で言うと、オンラインとの差は予想をはるかに超えた圧倒的なものでした。例えて言えば、これまでふすま越しに見ていたろうそくの灯りを、ふすまを取り除いて至近距離で見たような感覚です。オンラインで色々なことができるようになった今だからこそ逆に実際に会うことの重要性が高まっているのでとも痛感させられました。

それではこの圧倒的な差はどこから来るのでしょうか。量的な差がどこから来るのかは想像に難くないでしょう。ズームの画面を通しては切り取られた一部の視覚情報しか入ってきません。参加者が増えれば、それに反比例して、1人当たりの画面の小さくなります。そうなると、窓にかかったカーテンに小さな穴を開けて、そこから外を覗くようなものになります。

そして量的な差よりも本質的な質的な差はとなると、オンラインではほとんど伝わらないものがあるからだと今回あらためで感じました。それは生身の肉体を通してしか伝わらない存在感、そしてこの存在感からくるエネルギーです。自宅のコンピュータで聞く音楽と、それをコンサートホールで生で聞く違いにも例えられるでしょう。

さらに、今回はある疑問に対する答と思われるものを見つけることもできました。それは私の即興のユーモアによって沸き起こる笑いはどういう仕組みになっているのかという問です。この大会でも、多くの参加者に笑ってもらうことになりました。とはいっても、私は別に笑わそうと思っているわけではありません。自分では普通と思っている話し方をすると、笑いを誘発してしまうのです。

この大会の参加者の方々だけでなく、会場となった古巣神戸で触れ合うことになった、ホテルや温泉の従業員を含む色々な方々、合わせておそらく10数人も笑わしてしまうことになりました。(笑)

今回私が見つけた答というのは以下の通りです。我々の本質である魂の自然な状態である喜びが、不安や恐怖といった否定的な雑念という覆いによって隠されていたものが、常識の滑稽さを誇張するような即興のユーモアによって、一時的にせよ取り払われて、それによって生まれた隙間から喜びの光が笑いとなって吹き出すというものです。

皆さんどう思われますか。

PS: つながる

2026-02-20

聴き方の段階

口は1つしかないのに、耳は2つあるのは、話す2倍聴く必要があるからだというユダヤの教えがあります。それなのに、話し方もさることながら、聴き方となると、体系的に習った経験をお持ちの方はごくまれではないでしょうか。ここで言う聴き方とは、他言語学習の一部としての聴解力養成のためのものではありません。

かく言う私自身、どれだけいい加減な聴き方をずっとしてきたかを思い知らされた経験をしたことがあります。それはエルサレムでユダヤ式ライフコーチングを学んだ時です。コーチングとは傾聴力、そしてそれに基づいた質問力であることを身を以て学びました。とは言うものの、傾聴力の方は完成の域からはまだ遠いのが現状です。

聴き方の理想である傾聴とは何かを(再)確認する前に、何が傾聴ではないのか、つまりどういう聴き方をすることで傾聴が妨げられているのかという、聴き方の前段階4つをまずは(再)確認したいと思います。

第1段階は相手の話を途中で遮ることです。相手が話し終わるまで聴かず、その話の途中で自分の話をし始めることです。日本ではこれは比較的少ないかもしれませんが、ユダヤ世界ではこれはとてもよくあることです。ユダヤ的な対話とは、2つの独り言が同時進行しているものというジョークもあるくらいです。相手の話を途中で遮ることが自分の知性の証とみなす風潮もありそうです。

第2段階は相手の話を乗っ取ることです。相手がしている話を、多くはその話題自体を変えて、自分が続けることです。これは日本でもけっこうありますね。例えば、飲み会に同席した人の誰がどんな話を始めても、最後には自分の話に持って行く人が。これは1対1の会話でも当てはまることです。

第3段階は相手から頼まれてもいない助言をしてしまうことです。これは日本を含めて、おそらく世界中で本当によくある聴き方のはずです。一見すると逆説的ながら、その話題について知らなければ知らないほど、それについて助言をする場合が多いという相関関係にも気づきました。

第4段階は相手の話を聴いているようで、実は、相手の話が終わったら自分は何を言おうかと、相手の話の間にずっと考え続けていることです。いわゆるマルチタスキングは一種の神話です。同時に2つ以上のことに本当に集中することはできないように人間の脳はできています。そうなると当然、何を言おうか考え続けていると、見かけは聴いているようでも、相手の話を本当に聴くどころではなくなります。

そして理想の段階である第5段階が傾聴です。上の4つの段階どれでもない聴き方になります。少なくとも理想の状態では、自分の思考を一旦棚上げにして、相手の話だけ集中し、それを聴いてどうするかではなく、それを聴くこと自体が唯一の目的となります。自分の全存在を相手に捧げる聴き方だとも言えるでしょう。この聴き方はほんとうにまれなので、それができるようになれば、対人コミュニケーションにおける貴重な資産にすらなるくらいです。おもしろいことに、これを続けてるうちに、一旦棚上げするつもりでいた思考自体が、少なくとも傾聴の間は(そして往々にしてそれ以外の場合でも)、そもそも浮かんで来なくなります。

PS: つながる

2026-02-13

自我の沈黙と魂の沈黙

沈黙には2種類あることに少し前に気づき、その後観察を続けているうちに、これが確信に変わりました。自我の沈黙と魂の沈黙です。表面上は同じに見えますが、それぞれを生み出しているものは全く異なります。そして今自分が遭遇している相手の沈黙がどちらなのかは、普通であれば直感的にすぐに分かるはずです。

自我の沈黙とは、他人に対するレッテル貼りを言葉にしたり、頼まれていない助言を他人にしたりと、普段は饒舌な自我が、窮地に追い込まれて言葉を失い、沈黙以外に選択肢がなくなった状態です。理性の下に来る沈黙と言うこともできるでしょう。

これに対して、魂の沈黙とは、雄大な自然の前に立ったり、他人の突然の不幸を直接本人から聞かされたりと、言葉の無力さを感じ、魂の「母語」とも言える沈黙に戻った状態です。理性を超越した沈黙と言うこともできるでしょう。

ここで自我の沈黙と呼ぶものの色々な発露にはずっといらいらさせられて来たものですが、自我の本質を学び、自我の束縛から自らを解放することの難しさを身を持って経験するうちに、こうした自我の沈黙に対しても以前より忍耐強くなり、思いやりすら生まれるようになってきました。

ここで魂の沈黙と呼ぶものに初めてはっきりと気づいたのは比較的最近です。2023年9月末にエルサレムを離れる2ヶ月前に、19年間住んだアパートのお隣さんが建物の前に一人沈み込んで座っているのを見ました。お隣さんとはいえ、それまでは挨拶を交わす程度で、深い話をする機会はありませんでした。

何かあったのだろうかと心配して思わず声をかけてみると、末期がんを宣告されたことを話してくれました。ここでどんな言葉をかけても虚しく響くだけだと悟り、彼女をやさしく抱きかかえ、それから沈黙のまましばらく一緒に座っていました。

この沈黙によって、思いがけないことが起こりました。一気に深いつながりが生まれたのです。レッテル貼りや頼まれない助言といった自我の思考の産物である言葉が一掃されことで生まれたこの沈黙によって、魂と霊が垣根なく触れ合うことになったのでしょう。

ちなみに、沈黙についてこれだけ饒舌に語る人は皆さんも見たことがないでしょう。(笑)

PS: つながる

2026-02-06

日本では多くの人が一体何にびくびくしながら話しているのか

言語を切り替えることは、単に記号を切り替えることだけではありません。いくら正しい語を正しい文法で使っても、その言語が使われている社会の規則に従わない使い方は、文法的には正しくても、社会文法的には間違っているということになります。

19年ぶりにまた日本に住むようになって2年ちょっとになります。「~します」と言えばいいように私には思われる場合でも、「~させていただきます」という言うのがこれまで浸透し、日本語の社会文法の一部と化してしまったのは一体いつからなのでしょうか。

日本(語)だけで生活している多くの人にはおそらく気づかず、そうなると、こうした表現もおそらく無意識に自動的に使っているものと想像されます。多言語での生活を日本でも続けている私としては、今自分が話している、あるいは聞いている言語の社会文法を他言語の社会文法と比較してしまうことが第二の点線のようなものになってしまいました。最初は無意識にやっていましたが、今は自分の頭の中で瞬時に行われるこうした比較を自分で意識しながら行うようにもなりました。

「~させていただきます」に代表されるような、一見すると謙虚さを表すはずの表現は、一皮むけば、その奥には恐怖が隠れていることを感じます。だから、こうした「謙虚な」表現を使っている人たちに接すると、一体何にびくびくしながら話しているのだろうと、思わず勝手な心配をしてしまいます。

これについては、この2年間だけでなくそれ以前からもずっと観察を続け、考え続けてきました。2年ちょっと前に日本に移り住む前は仮説だったものが、この2年間で確信に近づくようになりました。

こうした「謙虚さ」とは、他人にどう思われるか、そしてそれによって他人から何か言われてしまうのではないかということに対する漠然とした無意識の恐怖が言葉に表れたもののはずです。実際、こうした「謙虚な」表現に接すると、エネルギーを吸い取られるような思いになってしまいます。

しかし同時に、そんなにびくびくしなくても、もっと自信を持って堂々と話せばいいのではないかと、これまた余計な心配までしてしまいます。こうした話し方をしている人たちの中には、恐怖心の牢獄とでも言うべきこの状態から抜け出したいと思いつつも、抜け出せないでいる人たちも少なくないかもしれません。

他方で、もちろん、こうは感じないまでも、社会文法の一部としてこうした表現を無意識に使い続けている人も多いはずです。でも、問題なのは、こうした表現を使い続けていると、それに言っていれば「染まって」しまうことです。つまり、同じ言葉を繰り返し言ういことで、思考まで書き換えられてしまうのです。

こうした言葉の海で懸命に奮闘している人たちを見ると、つい助け舟を出したくなってしまい、思わず差し出すのが即興のユダヤ流ジョークです。ぎこちない「泳ぎ」になっているところに、遊び心を持ち込むことで、一時的とはいえ、楽な「泳ぎ」に戻ってもらうというものです。この効果は、私自身でも驚くほど、てきめんです。

これに味をしめ(笑)、普段の生活では、全く面識のない人たちも含めて、出会った人、そして場合によってはすれ違っただけの人にも、日本での一種の任務かなとも思って、これを応用しています。そして喜びとは、特別な場合だけの「贅沢品」ではなく、本当の自分の自然な状態であることも、言葉だけでではなく、それに伴うエネルギーを通して伝えられればとも願いつつ、ユーモアの「おすそわけ」を続けさせていただいております。(笑)

PS: つながる

2026-01-30

人生の使命と人生の目的

私がエルサレムで学び、ユダヤ流人生の知恵として「蒸留」した形で日本にも伝えようとしているハシディズムの教えによれば、皆に共通の、人生において最も大切な2日があります。その1日は生まれた日で、もう1日はなぜ生まれたかが分かった日です。

そんなに大切な日ならば、生まれる際に、例えばへその緒にでも、なぜ生まれきたかを書いていてもらえればありがたいように思えますが、その答を自分で見つけること自体も大切なのです。課題に取り組んでいる際に、答を誰かから教えてもらう場合と自分で見つける場合とではありがたみが違うのと同じことです。

なぜ生まれてきたかには2種類あります。人生の使命と人生の目的です。簡単に言えば、人生の使命とは、世のため人のために自分に何ができるかで、人生の目的とは、例えば忍耐と共感といったように、どんな徳を高めるかです。

どちらも大切な問ではあるものの、大切であるがゆえもあって、その答にたどり着くのは簡単ではありません。実際、多くの人はこの2日目を迎えることなく人生を終えてしまっています。

かく言う私自身、人生の使命に気づいたのは今からちょうど7年前にエルサレムでグループで受けたユダヤ式ライフコーチングのおかげでした。これに照らし合わせて当時まだ勤めていたイスラエルの大学の仕事をあらためて見直してみると、それは人生の使命を果たすための手段・方法ですらないことに気づき、あっさりと大学を早期辞職したことはすでにお話した通りです。

人生の目的の方は、今から1年半ほど前に自然の中を1人散策していると、突然2つの言葉が言ってみれば「降りて」きました。そしてこれに照らしてこれまでの人生の試練をこれまた見直してみると、とても理にかなっていることがはっきりしました。

いわゆる「成功」つまり自我の願望を叶えることが人生の目的であるとか、他の人たちにそれを叶えてあげることが人生の使命であるとかと思って頑張っている人たちを見ていると、とても歯がゆい思いです。

もちろん、自我の願望を叶えたり、叶えてあげたりすることがそれ自体悪いことだというわけではありません。でも、これらを人生の目的と人生の使命にしてしまうのは、壮大な勘違いになってしまうことになるのです。そしてそのことに人生最後の日に気づいてしまったとしたら、後悔しても後悔しきれないことは想像にかたくありません。

こう書くだけだと、恐怖を煽っているだけにも受け取られかねないので、人生の目的と人生の使命を見つけてもらうためのライフコーチングも提供しています。私自身、もっと若い頃に受けておきたかったと思う反面、様々な人生体験を経た後でなければ、本当には理解できなかったかもしれないとも思わざるをえません。

PS: つながる

2026-01-23

生きた言葉と死んだ言葉

私の瞑想の最初の先生に当たる人が自分の先生の新刊の冒頭に寄せていた言葉が今でもときおり頭に浮かんできます。彼は言語学者でないにもかかわらず、あるいは言語学者でないからこそ、言語の本質を見抜いた言葉だという思いが強まる一方だからです。この言葉というのは、言葉には生きた言葉と死んだ言葉があるというものです。

これら両者の違いを私自身の経験と自省に基づいて簡単な言葉で言い換えれば、生きた言葉とは心あるいは魂にまで響き染みわたる言葉であるのに対して、死んだ言葉とは頭だけで止まってしまう言葉ということになるでしょう。

さらに、そしてかなり乱暴な一般化をして、言い換えれば、少なくとも私にとっては、生きた言葉とはそれに触れた人の人生の知恵を培ってくれるものであるのに対して、死んだ言葉とは知識が増えるだけで終わる言葉です。

この差はどこから来るのかというと、生きた言葉は実際の人生体験に基づいているのに対して、死んだ言葉は実際の人生体験に基づかず、頭だけで考えたものだというものだというのが、これまで両者の言葉を観察し続けての結論です。

例えば、愛を実際に経験したことがない人が、いくら愛について言葉を尽くして語っても、それが精巧であればあるほど、少なくとも私には虚しく響きます。同じことは特に人生において本当に大切な多くのことにもあてはまるでしょう。

死んだ言葉が何かについて語っていることが多いのに対して、生きた言葉は何かそのものを語るのが普通です。こう考えると、大学時代に生き残りをかけて書き続けざるをえなかった研究論文は、死んだ言葉を量産し続けてきたことだと今では思わざるをえません。

ここで言う死んだ言葉とは、言ってみれば食品サンプルのようなものです。サンプルは本物ではないにもかかわらず、それが精巧であればあるほど、それを作った本人も、そしてまわりも、それが本物の食品だと勘違いしてしまう危険性があります。

挙句の果てには、こうした死んだ言葉をまとめて本にしたものが賞をもらったりしているのを何度も見ると、毎回複雑な思いにかられてしまいます。特にこうした本が扱っている内容というのが、私自身が直接体験をし続けていることで、著者は直接体験していない、あるいはできない場合、私の思いはさらに複雑なものになります。

もちろん、知識がすべて悪いというわけではありませんし、知識を得るための読書は今でも続けています。でも、直接体験に基づかずに、頭だけで考えて、何かについて書かれた知識とはあくまで食品サンプルにすぎないことは常に忘れないようにと自分にいつも言い聞かせています。そしてその現物を食べる機会があるのであれば、当然ながらそれを優先しています。

PS: つながる

2026-01-16

対比によって得られる明確さ

ハシディズムの教えに「闇から出た光は、光から出た光より明るい」というものがあります。この教えは何通りもの解釈が可能ですが、人生に当てはめてみれば、「試練を克服した結果手にした成果は、何もしないでそのまま手にした成果よりもありがたみがある」と解釈することが可能です。

そしてこの解釈の究極の例は、魂が肉体を借り、自我を抱き合わせられて、この物質世界にやってくることで経験することから得られる学びと成長の大きさです。

ここから分かるのは、人生の様々な分野で、対比によってこそ明確さが得られるといういうことです。そして究極の対比は闇と光だということになります。

ある分野で、ひとつしか選択肢を知らないまま生き続けるということは、例えて言えば、生まれ育った洞窟から出たことがなく、その洞窟が全世界だと思っているようなものです。そしてこの洞窟自体が比喩です。こうした「洞窟」の代表例を考えてみましょう。

まずは言語です。母語だけしか知らずに人生を送るのと、母語以外の他言語を1つでも学ぶのとでは、世界が見える明確さが根本的に変わってきます。言語はそれぞれ世界を違った形で分節します。分かりやすい例えで言えば、本来無限の色がある虹は何色かというのは、言語で違っているのです。

ただし、1つの他言語だけで満足してしまうと、2つの言語だけの対比にとどまってしまうので、2つ以上の他言語を学んだ場合に比べると、言語間の対比から得られる明確さはかなり劣ります。例えば、英語しか他言語を知らない日本語母語話者と、英語以外の他言語も知っている日本語母語話者とでは、それぞれの視野と視点には量的にも質的にも大きな違いが出てきます。

この違い自体も対比によって気づかされたことです。それは、様々な言語の先生や研究者を観察することが結果として対比につながったことでです。

一般に、英語の専門家は英語だけで満足してしまい、英語以外の他言語を学ぶ場合はまれになってしまいます。これに対して、変わった言語の専門家ほど、大言語から小言語まで様々な他言語を学んている可能性が高まる確率が高まることも経験的に学びました。

複数の言語を学び、知ることによって可能になる対比によって得られる明確さは、言語以外の様々な分野にも当てはまります。今すぐに思いつく例としては、文化、同じ分野についての教え、同じテーマについて本が挙げられます。

文化については、言語との類推でおそらくすぐに分かっていただけるでしょう。一言だけ簡単に補足説明すれば、生まれ育った日本文化しか知らない人よりも、それ以外の文化を直接体験した人の方が、それぞれに文化がよく見え、分かるようになるということです。

ただ、現実問題として、複数の言語を学んだり、複数の文化を直接体験することは誰もができるわけではないことも真実です。でも、同じ分野について存在している教えは1つだけに限定せずに複数に触れてみるとか、同じテーマについて書かれた本は1冊だけに限定せずに複数読んでみるとかは、多少の努力と時間を惜しまなければ、誰にでもできることでしょう。

これによって得られる対比、そしてその対比から得られる明確さは、投資した努力と時間を大きく上回るものです。この点自体、対比によって得られた明確さです。

PS: つながる

2026-01-09

学んで本当に良かったと思える言語とその使い分け

まだ言語学者をやっていた頃、仕事を尋ねられて、「大学で言語学を教えています」と答えると、決まってさらに尋ねられるのが「いくつ言語を学ばれたのですか」という問でした。「言語を研究するためにはたくさんの言語を学ばなければいけない」という思い込みが多くの人にあるようで、この同じ問にうんざりするようになってからは、「50です」とかといった大げさな数字で答えると、相手は満足してくれているのが見て取れました。(笑)

実際に学んだ言語の数である「13」と答えてしまうと、今度は「どの言語ですか」とさらに聞かれることが予測できるようになってからは、一々全部の言語の名前を挙げるのは怠けて、答をはぐらかすようにもなりました。今から思えば、これらの言語の名前にした一覧を紙に書いて、それを見せるようにしていたらよかったかもしれません。(笑)

皆さんももうご自身の経験からお気づきの通り、他言語・多言語を学ぶのは簡単ではありません。でも多くの人が気づいていないかもしれないのは、他言語・多言語の運用力を維持するのはもっと厄介だということです。

こう考えると、使い道のない言語を維持するために時間とエネルギーを使い続けるのは無駄な投資だということになりますし、そもそも使い道のある言語は維持するために特別な時間とエネルギーを使わなくても、自然に維持できるだけでなく、その運用力が増していくことも自然な結果です。

私にとって言語の一番の使い道とは、その言語で蓄積された(そして増え続けている)知恵や知識の存在です。特に、その言語で書かれた本が伝える知恵や知識が他の言語では得られない場合、その言語の価値は飛躍的に高まります。仮に、その一部は翻訳で読めるとしても、その言語の音は失われてしまいます。

私が学んで本当に良かったと思える言語は4つあります。ヘブライ語(より正確には古典ヘブライ語で、現代ヘブライ語は含みません)、イディッシュ語、英語、ロシア語の4つです。そしてこれらの4つは使い分けています。これら4つの言語を通して得られた(そして得続けている)知恵と知識がなかったなら、私の人生はもっと味気ないものになっていたでしょう。

大雑把に言うと、古典ヘブライ語とイディッシュ語とは知恵を得るために、英語とロシア語は知識を得るために主に使っています。普段の読書量で言うと、英語が4割、古典ヘブライ語が3割、ロシア語が2割、イディッシュ語が1割になります。英語で読んでいるもののおそらく1割程度は日本語訳でも読めるはずです。他の3つの言語で読んでいるもののほとんどすべては日本語訳はありません。

私が日本にお伝えしようとしているユダヤ流人生の知恵の土台となっていて、大学を早期辞職してからエルサレムの専門の学校で3年間体系的に学んだハシディズムの教えと実践をまとめた本のうち、特に日本語だけを読まれる方たちのためにと思って、2025年1月からハシディズムの古典をヘブライ語とイディッシュ語の原典から日本語に訳し続けています。皮肉にも、この翻訳代を月給として出してくれているのが、早期辞職したイスラエルの大学です。これがもう少しで訳し終わり、商業出版がかなえば、次に訳したいと考えているハシディズムの古典がもうあります。これは人生で最も読み込んだ本で、最も影響を受けた本です。

PS: つながる

2026-01-02

なぜ私は言語学者をやめたのか

「肉体は本で、魂は著者で、人生は物語である。」 - ユダヤの格言

1 はじめに

私は終身在職権まで取得したイスラエルの大学を2020年9月末で早期辞職し、30年近くやっていた言語学者をやめました。その最大の理由はもうこれ以上自分自身をだまし続けることができなくなったからです。以下はその物語です。

2 多言語学習者・言語学者としての体験

私は中学生になって学び始めた英語を最初の他言語として、36歳でエルサレムの大学院を「退院」するまで、結局13の言語を学んだ計算になります。もちろん、すべてに流暢なわけではありませんし、最初からそのつもりもなかった言語が半分以上です。

これらのうち5つの言語に流暢で、これらの言語で学会発表をしたり、それに基づいて論文を書いたりしてきました。今はロシア語をこれら5つの言語と同じレベルに高めるために、母語話者の家庭教師をペースメーカーにしてずっと学習を続けています。

当時は、現代ヘブライ語とイディッシュ語とエスペラント語を研究対象にして、特に辞書学と社会言語学という言語学の分野に従事していました。イスラエルでは「退院」大学とは別の大学のヘブライ語学科で、ヘブライ語学と一般言語学を教えていました。

3 転機

その後、同業者の女性と知り合い、結婚前も結婚後も、ヘブライ語でも彼女の母語であるロシア語でもなく、イディッシュ語でやり取りを続けていました。残念ながら、この結婚生活も、そして順調に思えた言語学者としての職業生活も突然の終わりを告げることになること起こりました。

詳しい事情は省くとして、元妻から突然の離婚を切り出されたのです。様々な努力のかいもなく、結局離婚は回避できないことが分かり、今思い返せば、これで自我は大打撃を受けることになりました。しかし この大打撃をきっかけに、生まれて初めて言語を外から見つめる視点を得ることになったのです。

これによって、考える自分とは別に、それを観察する自分がいることも体感しました。そして有名な「我思う、ゆえに我在り」は世紀の迷言であることにも気づくことになりました。

4 言語の闇の側面

自我の崩壊によって引き起こされることになったこの経験と悟りを通して、言語学では絶対触れない、そしてそもそも言語学をいくらやっても見えない、言語の闇の側面が見えてきたのです。それは自我の思考という牢獄の番人としての言語の側面です。自我とは、自分だと思い込んでいる幻想の自分です。

幼児の第一言語習得において、この自我の思考という牢獄に囚われたことが決定的になる2段階があります。まずは、自分が呼ばれる名前そのものが自分だと思い込んだ時で、それから「私」といった1人称単数の人称代名詞を覚えた時です。

言語によって、無意識のレッテル貼りが始まるようになります。これは言語を持たない動物にはないことです。こうなると、レッテルを通してしか世界の現実を把握できなくなるだけでなく、自分がレッテル貼りをしていること自体に自分でも気づいていないのが、残念ながら、多くの人の現状です。

最も厄介なレッテル貼りは自分へのレッテル貼りです。これは、「本」にすぎない肉体が、そして「物語」にすぎない人生での体験、例えば名前、学歴、職歴等が自分そのもの、つまり「著者」だと錯覚してしまうことにほかなりません。「あなたは誰ですか」という問に対する多くの人の答は、いずれかの錯覚のどちらかです。

これをもっと一般化すれば、何かについて知ること、つまり言語を通した概念的理解は、何かを知ること、つまり直接体験とはまったく別物であるということにもなります。アイスクリームをいくら研究しても、アイスクリームを実際に食べなければ、アイスクリームを本当に理解したことにはならないのがこの例です。

5 言語学者をやめてから今まで

まずは、ユダヤ流人生の知恵の元となるハシディズムの教えをエルサレムで3年間体系的に学ぶ機会に恵まれました。その後、日本に移住して、この教えを伝えるオンライン私塾を始めたのが、今から2年ちょっと前です。この私塾では、自分と人生に輝きを取り戻し育むお手伝いをするために、このハシディズムの教えに基づいた講座とコーチングを日本語で提供しています。これは人生の使命を果たすための方法のひとつと捉えています。

ただ、かつての私自身がそうであったように、多くの人にとって、自分が知らないということ自体知らない知恵であるため、それを学ぶ必要性を中々実感してもらえないのが現状です。でもこれからのいくつかの経験から、本当にやる価値があることは、そう簡単には軌道には乗らないことも分かっているので、この試練はさほど苦にならないだけでなく、自分が意味のあることをやっているかもしれないという励ましにすらなります。

6 おわりに

以上、言語学者ではなく、本当の著者が自ら語る物語でした。(笑)ただし、物語はまだ続いています。その後、自分でも信じられないようなある大きな「地殻変動」が起こりました。大学を早期辞職して以来、今思えばおそらくずっと抱き続けてきた経済的不安からの解放です。しかも、そのための「鍵」は眼の前にずっとあったのに、気づかないでいたことに、あるいくつもの「偶然」の連鎖のおかげで突然気づくことになったのです。

最後に、言語の役割について。これまでは言語に使われてきたのが、言語を本当の意味で使うようになりました。特に私がエルサレムで体系的に学んだハバド派ハシディズムでは、言語を超越するために言語を使うという教えと実践にふれることができたのは本当に幸運でした。これは今でも私の大切な財産です。この投稿ではこの財産を皆さんの前で実際に惜しみなく使ってみました。(笑)

PS: ユダヤの寓話

ある貧しい男が自分の家族を支えようともがいてたところ、宝石に溢れた国が遠くにあることをある日耳にしました。そうこうしているうちに、そこに向けて近々出航する船があり、船には彼が乗れる空きがたまたまあることが分かりました。しかしひとつ問題がありました。それは、船は長期間戻って来ず、したがってその国には長期間滞在しなければいけないということでした。結局、妻の許可を得て、自分の家族を支えるための宝石をこの国から携えてくるべく、旅に出ることを決意しました。

この遠い国に着いてみると、たしかに至る所が宝石で溢れていました。急いで宝石を自分のポケットやかばんに詰めると、自分は金持ちになったと思い込み、自分の国に戻ったらこれで家族を支えられると喜んでいました。

しかしこの国では宝石は無価値であるということにほどなくして気付くことになりました。宝石はどこにもありすぎて、誰も何とも思っていないのです。どこの店でも代金の支払いに宝石を受け取ってくれるところはありません。代わりに、この国の通貨はろうそくでした。ろうそくは手に入れるのが難しく、皆から珍重されていたのです。誰もがろうそくをためるのに必死になっていました。所有するろうそくの数で富と権力が測られていたのです。

この男がろうそくの必要性を理解するのに長くはかかりませんでした。一生懸命働いて、ろうそくを出来るだけたくさん集めようとしました。ほどなくして、彼はたくさんのろうそくを集めます。自分のポケットとかばんに詰めていた宝石を取り出し、そこにろうそくを詰めます。この新しい国で彼は豊かで有名な「成功者」になったのです。

時が経ちます。妻と家族の元に戻る日がやって来ました。船が出航しようとしています。男はできるだけたくさんのろうそくを詰め、自慢気に乗船します。

家に戻ると、妻が暖かく迎えてくれました。携えてきた宝を見せてくれと言われると、男は自慢気にポケットとかばんを開けました。そこから出てきたのはろうそくの山でした。

ここで、男は自分がひどい間違いをしでかしてしまったことに気付きました。この遠い国に着いた時は、自分は宝石を集めるためにやって来たことを知っていました。しかしまもなく自分の使命を忘れてしまったのです。その国の人たちの影響を受けて、ろうそくを珍重し、宝石は無視するようになってしまっていました。自分の当初の目的はすっかり忘れ、ろうそくを集めれば成功者になれるとばかり思うようになってしまっていました。代わりに、彼は自分の国ではほとんど無価値なろうそくを携えて戻ってきたのです。

PS: つながる