2024-11-29

霊的眠りからの目覚め

霊的眠りと題した前回の投稿で、言語によって生み出される思考に支配されてしまっているだけでなく、このこと自体にも気づいていない状態のことを霊的眠りと呼びました。

この続編となる今回の投稿では、私自身どうやってこの眠りの状態から目を覚ますことになったのかという個人的体験、そしてそれに基づいて、さらには関連するたくさんの本や講義を漁って調べたことから浮かび上がってきた目覚めの方法についても簡単にご紹介したいと思います。

個人的体験

霊的眠りから目覚めることになったのかをお話する前に、「先史時代」つまりどんな霊的眠りの状態にあったかという話を簡単にしてみます。これは別の文脈でもしたことですが、今回は霊的眠りという特殊な視点から自分でも見つめ直してみます。

この「先史時代」が期せずして突然終わりを迎えることになる前の私は、思考、それも否定思考と完全に一体化していました。まさに「我思う、ゆえに我あり」の状態でした。他人の些細な言葉と行動に一々怒っていたのです。そしてこの怒りを一時的に鎮めるために逃げていたアルコールが入ると、怒りはさらにますという悪循環に陥っていました。

怒りを言葉で爆発させることはしらふの状態では普通ありませんでしたが、アルコールが入った状態では自制心を失って、怒りが言葉で爆発することがよくあり、対人関係で問題を起こしていました。これが頂点に達したのが、元妻のお母さんに酔った勢いで暴言を吐いてしまった時でした。元妻からは翌朝離婚を宣告されました。

自分自身の、そして心配してくれた周りに人たちの努力にもかかわらず、結局離婚を避けることはできませんでした。このことに抵抗し続ける代わりに、自分の責任と無力さを認め、現実をありのままに受け入れることにした時に、突然心が鎮んで、長いこと味わったことがないような心の平安も感じました。そして驚いたことに、あれほど好きだったアルコールが突然飲みたくなくなったのです。以来、飲みたいと思ったことは一度もありません。

この不思議な体験をその後考え続けてみると、自分でも一番しっくりくる説明は、あまりのそれも突然のショックで自我が崩壊してしまったというものです。これまで本当の自分を覆い隠していて自我の厚い思考の雲の間に裂け目が生じ、この裂け目の間から本当の自分の輝きが顔を出したのです。

そして(否定)思考を生み出していた自分を観察する自分がいることにも初めて自覚するようになりました。つまり「我思う、ゆえに我あり」という場合の、前者の「我」と後者の「我」とは全く別物であることが頭でだけでなく、直接体験として分かったのです。これが長年の霊的眠りから目覚め(させられ)た記念すべき瞬間でした。

自分の意志とは無関係に目覚め(させられ)る方法

私が体験したのがまさにこの方法です。こうした経験は何も私だけの特別なものでなく、同じ経験を通して霊的眠りから目覚めることになった人は他にもたくさんいるはずだと思って、本を色々探していたところ見つかったのが Extraordinary Awakenings という英語の本です。この本の著者である Steve Taylor は個人自我と集団自我の両方を含む自我からの目覚めについて何冊も本を出しており、それらも全部読み、多くの気づきが得られました。

この本で扱っているのは、大きな挫折や試練を含むトラウマ的体験によって自我が崩壊し、霊的眠りから目覚め(させられ)るという、自分の意志とは無関係に起こる種類の方法です。

自我の否定思考とますます一体化していくようになると、つまり霊的眠りはますます深まり、終いにはこうしたトラウマ的体験に至るという可能性は誰にでもあります。できれば、他の人には体験してもらいたくないと思っています。ひとつには、トラウマ的体験があっても、霊的眠りから目覚め(させられ)るか確実ではないから、もうひとつには、トラウマ的体験の克服は本当に大変だからです。この体験は私にとって一種の原点になっています。

自分の意志で目覚める方法

本当の自分から逸脱し、それに合わせて人生も自我に支配されたものになっていくと、「宇宙」からの「目覚まし時計」が鳴り始めるようになります。目を覚ませという知らせです。その音は最初はほとんど聞き取れないものですが、無視していると、少しずつ高くなり、終いには目を覚まさざるをえなくなります。普通の目覚まし時計と同じように、この「目覚まし時計」の場合でも、まだ鳴り音が低いうちに目を覚ましておくのが賢い選択ですが、かつての私自身を含めて、多くの人は残念ながらそうはなっていません。

トラウマ的体験に至る前に、重い腰を上げて、自分の意志で霊的眠りから目覚めようとする場合、一番手っ取り早いのが呼吸瞑想です。呼吸に思考・感情移入させられる人はまずいません。だから、呼吸に意識を集中させると、思考の波が止むのです。そしてこれを一定期間続けていくと、自分の思考を観察できるようになっていきます。つまり、思考との一体化から離れていくのです。これはとても効果的で、しかも簡単にできるので、皆さんのぜひ試されてみてください。最初は10分間、目標は20分間です。思考の波が完全に止まることはありませんので、呼吸に合わせていた意識が思考の方に戻ってしまったら、呼吸に戻すということをひたすら繰り返すだけです。脳の神経回路の書き換えにかかる期間とされている8週間続ければ、それなりの効果があるはずです。

これ以外ですぐに効果が感じられるものとして私自身試し、今でもちょくちょくお世話になっているのが、ハシディズム音楽を聴くことです。ハシディズム音楽は、魂から出て魂に届く音楽とも呼ばれています。知性を超越した方法と呼んでもいいでしょう。実はこの投稿もハシディズム音楽を聴きながら書いています。個人的なお勧めは Chabad.org Jewish Music App です。オンラインでもスマートフォン用のアプリケーションでも聴くことができます。

効果が出るまでには時間がかかるかもしれないものの、それはより永続的になる方法としては、知性の助けを借りた学びです。言ってみれば、知性を使って知性を超越するということになります。個人的に試し続け、霊的眠りから目覚めた後でまた元の眠りの状態に戻らないようにするためにも大きな効果を感じてきました。具体的にはどういう学びかというと、いわゆるスピリチュアリティーの教えを学ぶことです。私が学び続けているスピリチュアリティーの教えは、ユダヤ流ではハシディズムが、それ以外では例えば Eckhart TolleAdjashanti という2人の霊的師に特に深い影響を受けました。

ハシディズムの教えに関しては、この私塾を通して、講座とコーチングという形で日本の皆さんに提供しています。

PS: 「ユダヤ流人生の知恵」の提供内容・ウェブサイトの見直し・整理

今回の投稿のせいもあって、この私塾「ユダヤ流人生の知恵」で提供している内容を見直し整理しました。これに合わせて、ウェブサイトの内容も見直し整理してみました。まだウェブサイトを見られたことがない方は、そしてもう見られたことがある方も、覗いてみてください。特に、なぜこの私塾を日本で立ち上げようと思ったのかについては、心を込めて書いています。

2024-11-22

霊的眠り

例えば、自分が毎日何を考えたり、言ったり、したりしていることを、ソーシャルメディアで休みなしに、そして時には写真入りで、投稿する人がいますよね。あるいはソーシャルメディア以外でも、自分の思ったことを、特に否定的なことを、これまた四六時中「実況中継」し続けている人もいますよね。こういう人たちをどう思われますか。

ここまで行かなくても、休みない「実況中継」は自分の頭の中で無意識のまま無言でずっと続けているのが普通です。

いずれも他の動物たちには見られない、人間だけの現象です。言語という道具を獲得したまではいいものの、それを使う代わりに使われてしまって、言語によって生み出される思考に支配されてしまっているのです。そしてこのこと自体にも気づいていないのが普通です。こうした状態は霊的に眠った状態と呼ばれています。

もし自分が眠っていることに気づいていれば、それはもう眠っていることにはならないのと同じように、もし自分が思考に支配されているということに気づくことができれば、それはもう思考に支配されていることにはならないのです。

そしてこの気づきに至ることができれば、これまで牢獄に繋がれ続けてきた本当の自分を解き放ち、本当の自分の自然な状態である喜びを取り戻すこともできるのです。生まれたばかりの赤ちゃんたちは誰もが喜びに溢れていますよね。これは私たちの本来の状態なのです。しかし残念ながら、成長の過程で、思考という雲がどんどん厚くなり、それがこの喜びを覆い隠していくようになります。

皆さんも、本当の自分のこうした本来の自然の状態を取り戻したいと思われませんか。でももし取り戻したいと思われた場合、どうして取り戻したらいいのか、何かいい方法はご存知ですか。

皆さんに少し考えてもらう時間を設けるために、この方法は今日すぐにはご紹介せずに、来週の投稿で私自身の目覚めの体験談を含めてご紹介します。

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2024-11-15

ハシディズムの説話の例

人生の知恵を伝える方法の1つとしてハシディズムでは説話が用いられるという投稿をハシディズムの説話の力という題目で2ヶ月半前に配信しました。

東欧ユダヤ人の話し言葉であったイディッシュ語で元々語り伝えられていたものが起源で、東欧のおけるユダヤ教の伝統に従ってヘブライ語に翻訳され、文字では多くがヘブライ語で伝えられてきています。そのかなりが英語とロシア語に翻訳されています。

日本語で読めるハシディズムの説話のまとまったものとしては、マルチン・ブーバーが収集・加工した選集の日本語訳がありますが、もう絶版になっています。

ハシディズムの説話には大別しておそらく最低でも2種類があることに気づきました。1種類目は「義人」とされるラビたちの言行録で、2種類目は彼ら自身がハシディズムの教えを盛り込んで書いた寓話です。

前者の種類で語られているラビたちの中でも個人的に特に好きなアニポリのズシャにまつわる説話をここで2つ日本語でご紹介することで、ハシディズムの説話について知るのではなく、そのものを実際に味見してもらいたいと思います。このアニポリのズシャは人生で多くの苦難を味わい続けたにもかかわらず、子供のような無邪気さを備えていることでよく知られています。この無邪気さは彼の言葉にもよく表れています。

こうした毎週金曜日の投稿の配信通知を行っているラインで毎週日曜日には「ユダヤ流人生の問と答の例」というものを無料配信しています。今度の3月から始める予定のユダヤ流人生の問という講座ではこの内容を毎回掘り下げていきたいと思っています。そしてこの講座の毎回の授業の初めには、私がヘブライ語から日本語に訳すハシディズムの説話を毎回1つのテーマに絞って口頭でご紹介していくことも考えています。

それでは、前置きはここまでにして、説話を始めます。

涙の力

ズシャの妻は彼に毎日離婚を迫っていました。そのせいで彼の心はとても重くなっていました。

ある夜彼は妻を呼んで、「これを見てごらん」と言って、涙で濡れた枕を見せました。それから彼は続けてこう言いました。「誰であれ誰かが最初の妻と離婚すれば、祭壇までもが涙を流すとタルムードには書いてある。この涙で枕が濡れたんだ。これ以上私に何を望むと言うんだい。これでもまだ離婚したいのかい。」

それからは彼の妻は静かになり、静になると幸せになり、幸せになると良い妻になりました。

ズシャの所に行って、聞いてみなさい

ある男がハシディズムの指導者の所にやって来て、「良いことに感謝するのと同じように悪いことにも感謝しなければいけないという教えがあるが、こんなことは一体人間には可能なのか。」と尋ねました。

すると、この指導者は「この質問の答を見つけるには、私の弟子であるアニポリのズシャの所に行って、聞いてみなさい。」と答えました。

この男は早速ズシャの元を訪れました。この同じ質問をする前に、ズシャの暮らしぶりと振る舞いを観察していると、貧乏なだけでなく、家族が病気に苦しめられてもいるのに、良いことに感謝するのと同じように悪いことにも感謝するという教えを体現していることにすぐに気づきました。

そこで、この秘密を知ろうと、この男はズシャの師にしたのと同じ質問を彼にもすることにしました。「良いことに感謝するのと同じように悪いことにも感謝しなければいけないという教えがあるが、こんなことは一体人間には可能なのか。」という質問です。

これを聞いたズシャは、「いい質問だね。でも私の先生がなぜあなたを私の所によこしたのか、私には分かりません。人生の苦しみに会っている人の所に行って、聞いてみるべきでしたね。」と答えました。

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2024-11-08

ユダヤ式ライフコーチングで行う質問の例

アルコール・薬物・お金・地位・名声といった外的なものに依存しなくとも、くすんだ自分と人生に輝きを取り戻し維持するのを助けるべく、日本の皆さんに提供しているものの1つがユダヤ式ライフコーチングです。

これを読まれている皆さんの多くは、そもそもライフコーチングと言われても、おそらく何のことか実感がわかないのではないでしょうか。今は提供する側に回っている私自身、実際に受けてみるまでは全く想像すらつきませんでした。

ということで、ユダヤ式ライフコーチングで行っている多くの質問のうちで、本当の自分に目覚めるための助けとして行っている質問をご紹介します。実際のコーチングの1セッションでは、これらの質問に対する答に基づいて、掘り下げるためのさらなる質問を行い、本当の自分を見つけていくことになります。

  1. どこにでも「持参」するものは何ですか。
  2. 自分がこの世界にもたらすために生まれてきた「贈り物」・「光」は何ですか。
  3. あなたの友達はなぜあなたの友達ですか。あなたに何を見つけていると思いますか。
  4. あなたの大きな成功の例を挙げてください。この成功であなたの役目は何でしたか。この成功にあなたは何をもたらしましたか。
  5. 現実的な制約がないとすれば、先例のない自己実現を可能にしてくれるものは何ですか。
  6. あなたの長所は何かと配偶者に聞いたら、どんな答が返ってくると思いますか。
  7. あなたの120歳の誕生日を祝って、友人たちが祝賀会を企画してくれています。あなたについて友人たちが語る中心的なことは何だと思いますか。
  8. どんなことに刺激・鼓舞されて行動する時にあなたは喜びに満ち溢れますか。
  9. これまででとても楽しかった職場の例を挙げてください。その職場ではあなたのどんな特別な力が発露されたと思いますか。上司には何と言われましたか。同僚からはどう思われていましたか。
  10. あなたの子供たちがあなただけから受け継ぐことのできる個人的な特性とは何ですか。
  11. 喜びに満ち溢れた例外的な霊的体験の例を挙げてください。あなたのどんな内的力が発露されたと思いますか。

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2024-11-01

どうやって自我を手放し、魂を磨くか

「ユダヤ流何事にも動じない方法」という講座を先々月9月と先月10月に行いました。ユダヤ流人生の知恵を味見してもらうために、8回の授業の中で特に実用性が高いと思われる2回の内容を簡単に文字にまとめて皆さんに紹介することにしました。今回はその2回目です。

いずれも心がけ次第で日常生活でできることです。ただし、そのための第一歩として、止めることが望ましいこうした言語行為を普段無意識にやり続けているということを自覚することが大切になります。この投稿がこのための助けになれば幸いです。

止めることが望ましい以下の4つの言語行為に共通するのは、いずれの場合もこれによって、自分が他人とは別個の存在であるだけでなく、他人よりも優れた別個の存在であるという自我の「好物」を自我に与え、自我を肥やすだけになることです。したがって、こうした言語行為を止めることは、自我の「栄養源」を断つことになり、結果として自我を手放すことにもつながることになるのです。

1 比較するのを止める

自分と他人を比較することの最大の問題のひとつは、それが他人の一部に善悪のレッテル貼りをしてしまうことにつながり、こうして貼られたレッテルが今度はその人全体を価値判断することに使われるということです。

例えば、ある人のある側面を自分よりも劣ると決めつけた後で、この人全体が自分よりも劣ると決めつけることです。

比較するのを止めるための効果的な方法のひとつとして、比較が何のためになっているのか自問自答してみてください。つまり、こうした比較の具体的に何が自我の「栄養」になっているのかということをまずは自覚してみるのです。おそらく比較は無意味だという結論にも至るはずです。

2 陰口を言うのを止める

比較はそれだけでも問題があるだけでなく、陰口に発展するというさらなる問題も抱えています。比較以上に、陰口は自我の強化に使われます。それも、他人を貶めることで自分を相対的に高め、一時的優越感に浸ることによってです。

まだ正常な感覚を失っていなければ、陰口を言った後では、一時的優越感はすぐに消え、悪い後味が続くのが普通なはずです。さらには、二日酔いのように苦痛がやってくることも少なくありません。

陰口を言うのを止めるには、まずは陰口を言い始めてしまったら、まずはそのことに気づくことが第一歩となります。次に陰口を言った後にどうなるかを思い出してみてください。陰口から得られる一時的優越感とそれに続く悪い後味・苦痛を天秤にかけてみるのです。そして陰口は、話題にされた人だけでなく、話をした自分、そして話を聞かされた人の3者を傷付けることになることも肝に銘じてください。

3 求められていない意見を言うのを止める

これは多くの人が、それも多くの場合善意のつもりで無意識にやってしまうことです。求められていない意見を言うのは、元をただせば、自己顕示につながっています。自己顕示によって得られる他人からの承認は自我の「大好物」です。

求められていない意見を言うのを止めるには、誰かが何かについて意見を言っても、それをただ黙って聞いているだけにするということを試してみてください。このいわゆる傾聴というのは、この文脈に限らず、コミュニケーションというもっと広い文脈においても、とても大切な(しかし多くの人は身につける機会のなかった)スキルです。

4 不平を言うのを止める

不平はあらゆる否定性の生みの親であるとも言われています。不平を言っても、結局自分が不幸だということが聞く方に伝わるだけです。不平を言えば、自分の恨みは正当化されるというのも勘違いです。正当化される恨みなど存在しないからです。そして不平は抵抗の一種でもあります。

これまたまだ正常な感覚を失っていなければ、不平を言った後では、抵抗した恨みは自分の中に残るだけというのが普通なはずです。そして残った恨みは普通苦難に変わります。不平を言っても、結局自分を二重に苦しめるだけだということになります。

不平を言うのを止めるには、(すぐに実行するのは簡単ではありませんが)抵抗するのをやめて、すべてをありのままに受け入れて、すべてに善を見つけるようにしてみてください。自我の誘惑に乗って不平を言う代わりに、自我を超越すれば、それを観察している相手も自我を超越する助けになることも肝に銘じてみてください。不平を言わない自分の存在を通して、その肯定的エネルギーが相手に伝わるのです。

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