イスラエルを離れて約19年ぶりに日本で暮らすようになって気になることのひとつが、イスラエルと比べて日本では考えすぎるあまり、あるいは考えるだけで実際の行動を起こさない人・場合が多いのではないかということです。もちろん、この印象が間違っているに越したことはないのですが、残念ながら、少なくとも今のところはこれが間違った印象であるということを裏付けるような証拠には遭遇していません。
シナイ山で啓示を受ける際の言葉(出エジプト記24章7節)に発するユダヤ教の教えに、まずは行動し、それから(説明を)聞く(そして理解する) - נעשה ונשמע - というものがあります。頭だけの知識ではなく、実技あるいは人生の知恵の場合、まずは実際に行動を起こすことで直接体験をしてみないことには、本当には理解できないことの方が多いからです。
身近な例として、例えば水泳を考えてみてください。いくら泳ぎ方のメカニズムを説明してもらい、頭だけで理解しようとしても、実際に泳がなければ、泳げるようにはなりません。他には、言葉を話す能力を身につける場合、実際に話す必要があります。
中々行動を起こせない人の頭の中ではどういう考えが渦巻き、第1歩を踏み留まらせているのでしょうか。日本の場合だと、完璧主義と謙譲が代表的な理由として挙げられるはずです。
完璧主義と言うと美徳のように思われる方も少なくないかもしれませんが、実は問題の方が多い特質です。完璧には切りがないからです。何かを始めるための準備が完璧に整うのを待っていたら、何も始めることはできません。不完全でもいいので、それなりの準備が整ったら、見切り発車する方がはるかに賢明です。
日本式の謙譲も問題があります。日本式の自己卑下は本当の意味での謙譲ではなく、自意識過剰の裏返しです。ユダヤ教が教える本当の謙譲というのは、他の人が同じことをやったら自分よりも上手くできるはずだけれでも、このことを自覚した上で敢えて自分はやってみるというものです。
そして日本に限らず、人間であればおそらく誰でも抱えているはずの最大の理由のひとつは失敗の恐怖です。失敗を恐れるあまり、行動のための最初の1歩が踏み出せず、失敗について考えれば考えるほど、その恐怖は増していくのです。おそらくこれは皆さんにも経験があるはずです。これへの対処法としては、失敗の恐怖に抵抗するのを止め、それをありのままに受け入れつつ行動を起こすことです。実際に行動を起こし始めてみれば、失敗の恐怖も薄れていくはずです。
これら3つの理由に共通することは思考の牢獄に囚われているということです。一言で言えば、考え過ぎということですね。考え過ぎを止める確実な方法は行動を起こすことそのものです。
と、ここまで書き終わった直後に、エルサレムでとてもお世話になっていたハバド派のラビの1人から連絡があり、ある大きな目的のためのある助けに協力してくれないなという依頼が偶然にもありました。かなりの難題なので最初は断りたい誘惑にかられましたが、今自分で書いたことを試す貴重な機会だと思って、引き受けることにしました。