2025-02-28

ユダヤ流有意義な人生 第2章 幼年期 その3 私たちは子供から何を学べるか

これまでにも触れた通り、子供は自分に興味のあることだけに集中することができます。大人になるにつれて、少しずつこれはできなくなってきます。自分自身のため、あるいは周りのため、果たさなければいけない義務も少しずつ増えてきます。生計を立てるために仕事もしなければいけなくなります。そして人によっては子育てもあります。こうなると、自分の興味のあることだけに集中するということは少しずつ難しくなっていきます。

さらには、社会の集団自我にばかり耳を傾けていると、自分本来の魂の声は少しずつ埋められ掻き消されるようになっていき、しまいには自分が一体何に本当に興味があるのかすら忘れ、気がついてみたら、社会が決めたレールに沿った生き方になっていたという場合も少なくないでしょう。こうした場合に、自分に興味あることだけに集中している子供を見ると、大人である自分も埋もれていた魂の声を思い出しては、本当に興味あることをあらたに始めるきっかけにすることができるのではないでしょうか。

私たちの思考のほとんどは私たちの自由意志とは無関係に、言ってみれば自然に湧き出るようなものです。こうした思考は呼吸や消化に近いとも言えるでしょう。そしてこうした自然に浮かんでくる思考のほとんどは過去の後悔と将来の心配とに費やされ、実体がある唯一の時である今という瞬間は完全に忘れ去られてしまいます。

子供は今という瞬間に集中するという能力をまだ備えています。この点も子供から大人が学べる大切なことです。人生は肉体の支配を巡って魂(の「知性」)と自我(の「感情」)の間の絶え間ない戦いです。そしてこの戦場は今という瞬間であり、魂が自我に勝つためには、毎瞬毎瞬勝ち続ける必要があります。自我の最大の援軍は過去(の後悔)と将来(の不安)です。過去も将来も私たちの思考の中にしか存在せず実体のない幻想にすぎません。そして自我の最大の敵は今という瞬間です。子供の(時)のように今という瞬間に集中することで、それ自体が幻想である自我も行き場を失ってしまうのです。

PS: つながる

2025-02-21

ユダヤ流有意義な人生 第2章 幼年期 その2 私たちはなぜ子供としてこの世に生まれてくるのか

そもそも私たちはなぜ子供としてこの世に生まれてくるのでしょうか。最初から自立できるような身体能力と知的技能が備わった状態で大人として生まれてくる方が効率が高いのではないかと思われませんか。

同じく子供として生まれてくるものの早くに自立できる他の動物と違って、私たち人間の子供は最初の数年は肉体的生存を、そして学校教育を終え働き始めるまでは経済的生存を周りの大人に世話してもらわなければいけません。しかしこれは見方を変えれば、幼年時代は生存・生計の心配がなく人生を過ごせる貴重な時期だということにもなります。

前世で学んだことをそのまま持ち込んで新しい人生を始めるということは、すでに何かが描かれたキャンバスに新しい絵を描こうとするようなものです。これでは描きたい絵も描けませんよね。つまり無邪気な状態でこの世の経験を始めるというふうになっているのは、見るもの聞くものがすべて新しく、したがって先入観なしに新しいことを体験できるようになるためです。しかし他方で、あらゆる経験をより敏感に受け取ることにもなり、同じ経験でも大人になってからした場合よりも傷つきやすいという危険性もあります。

PS: つながる

2025-02-14

ユダヤ流有意義な人生 第2章 幼年期 その1 子供とは何か

子供の間、私たちは自我(特にその「感情」)に完全に支配されています。それ以降初めて魂(特にその「知性」)が肉体の支配をめぐる戦いに挑むようになります。

こうした自我の完全支配のせいで、子供は基本的に自己中心的です。自分とその肉体的・感情的欲求のことしか頭にはなく、普通は周りにはお構いなしです。しかし子供のこの特質にはいい面もあります。それは大人と違って、自分の目的に集中できるということです。時間も忘れて、自分の好きなことに熱中している子供を見て、自分の幼年時代を思い出すことがありますよね。

子供は自己中心的な生き物であると考えれば、その当然の帰結として、自分の子供はお荷物ということになろうかと思います。しかし子供のいい面に目を向ければ、後で触れるように、大人は子供から学ばされることが少なくありません。

PS: つながる