2025-09-26

ユダヤ流自己実現の方法

日本(語)でもよく耳にする自己実現という言葉は、幻想の自分つまり自我の願望を叶えるという意味で使われていることが少なくありません。この意味での自己実現の典型的な例はいわゆる「成功」になるでしょう。

しかし本当の自分つまり魂の観点からすると、人生の本当の目的である霊的成長に寄与してくれることを叶えることが真の自己実現ということになります。

この講座では、この後者の意味での自己実現を叶えるためのユダヤ流の3条件を理論と実践の両面からご紹介します。まず第1条件として、本当の自分を確認しておく必要があります。この土台が整っていなければ、続きがどんなものであれ、砂上の楼閣になってしまうからです。

これに基づいて、第2条件として、自己実現に必要なものをどういう意識を持って引き寄せるのかを、第3条件として、引き寄せるためにどういう意識を持って行動を起こしていくのかをそれぞれご紹介します。

ここでご紹介する教えは深淵でありながら、まったく違和感なく頭と心に響くはずです。なぜなら、魂がすでに知っていたことだからです。それが成長の過程で、社会の「常識」の名のもとに、本当の自分が幻想の自分に乗っ取られ、自己実現の意味も本来あるべきものとはまったく別物になってしまっているのが普通なのです。

PS: つながる

2025-09-19

ユダヤ流有意義な人生 第11章 老化と引退 その3 高齢者は自分でどんな対策を取るべきか

毎日仕事に行くのを止めたからといって、人生の使命を果たすために肉体と魂を使わなくなるわけではありません。かつて、仕事の競争相手のことを考えたり、仕事の計画を立てたりするのに費やしたエネルギーは、当時はできなかったようなこと、例えば、周りの人たちに喜びの光を照らすことに充てることもできるのです。

社会が高齢であることを再評価する前に、高齢者は自分の人生を自分の手で切り開かなければいけません。高齢者も自分の信念を貫くことを学ばなければならず、自分の年齢やそれが自分の肉体に与える影響に負けてはいけないのです。体力が落ちたから使い物にならないなどと言う人に耳を貸してはいけません。散歩やゴルフをするくらいなら、何もしないで過ごす方がましだなどと言う人に耳を貸してはいけません。

さらには、高齢者は自分に対する認識も変えなければいけません。自分は社会にとって無用どころか、これまで以上に大切な資産なのだという認識の変化です。

PS: もっと知る

2025-09-12

ユダヤ流有意義な人生 第11章 老化と引退 その2 老化に対する私たちの考えはどこから来ているのか

私たちが常に若さを称賛し、それが望ましいものすべての象徴にどうやってなったのかを考えてみてください。このことは、高齢者、ひいては社会一般に対して明らかに士気を低下させる効果があります。もし私たちが、知識や知恵よりも、あるいは経験豊かな魂の霊的活力よりも、若者の肉体的活力を評価するというのならば、これは私たちの価値基準について何を物語っているのでしょうか。

聖書には、老いは美徳であり、祝福であると書かれています。学問や信心深さに関係なく、すべての老人を尊敬しなさいということです。なぜなら、どんなに優秀な若者にもまだ持ち得ない知恵と経験を人生の1年1年がもたらしてくれるからです。

しかし、多くの社会では高齢者は負担とみなされるようになっています。若者ならば、年長者から学ぶ代わりに、自らの失敗から学ぶことにこだわり、ビジネスから行政まであらゆる分野で若さが最高の信頼条件とされています。

確かに、物質優先の人生であれば、肉体の衰えは精神の衰え、つまり退屈・無益・絶望への転落を意味するのかもしれません。しかし肉体を魂の付属物と考えると、逆に、老化に伴う霊的成長が肉体を活性化させると考えることができます。そしてこう考えれば、物質的な利益の追求が頂点に達する中年期には、人生の優先順位を変えていくこともできるのです。

引退という考え方は、人生は生産的な期間と非生産的な期間で構成されているという考え方に根ざしています。しかし、生を授けられ続けているということは、その人がまだ人生の使命を終えていないということであり、この世で成し遂げなければならないことがまだ残っているということなのです。

PS: つながる

2025-09-05

ユダヤ流有意義な人生 第11章 老化と引退 その1 何から引退するのか

「あなたは長年よく働いてきましたね。体力も衰えてきたことですし、そろそろゆっくりしてはどうでしょうか。そろそろ人生の収穫を得る時が来たのではないでしょうか。」

もちろんこれに対する社会的な答は引退です。しかしあなたは引退が私たちの精神に及ぼす影響について考えたことがあるでしょうか。なぜ多くの高齢者が不幸になるのでしょうか。なぜ彼らは人生に虚しさを感じるのでしょうか。運が良ければ、私たちは皆高齢になります。その時やって来るのを熱狂をもって待つべきなのでしょうか、それとも恐怖をもって待つべきなのでしょうか。

人生の晩年について考える前には、人生そのものについて根本的な問を自分に投げかけなければいけません。なぜ自分はここにいるのだろうという問です。この問にどう答えるかによって、老化や引退に対する考え方が変わってくるからです。

もし人生を物質的な利益や生産性のみで計ろうとするならば、老化による肉体の衰えは必然的に負担と見なされるでしょう。しかし人間はその真の豊かさが知的・感情的・霊的収穫で測られる霊的存在であることを理解すれば、魂が人生における主な力であるという認識に至ることになります。そして魂は肉体とは異なり、決して老いることはなく、ただ成長するだけなのです。

人間は物質世界を霊的にするために造られたものであるため、真の幸福に到達する唯一の方法は霊的成長と達成を通じてなのです。そしてこれは、人に与え、愛し、分かち合い、すべての行動に深い意味を見い出すことを意味します。

時間を超越した魂の存在を認識することは、老化のプロセスを理解する鍵であり、人生の黄昏時にチャンスの扉を開くための鍵です。人間の生産性は人間の創造性の直接的な結果であり、人間の創造性は魂の霊的エネルギーの直接的な結果なのです。

そもそも私たちは何から引退するのでしょうか。野心から。創造性から。自分の魂から。このような引退という態度は、単に死ぬ準備をしているということであり、生産するという使命をもってこの世に生を受けた人間には受け入れがたいことです。こう考えると、私たち人間には人生からの引退はないのです。

引退を勧める考えは間違いです。これは、それなりの量の富を蓄積した後では、ある年齢で生産になることを止め、物質的な成功と自由な時間を楽しむことが人生の目標だとする考えだからです。仕事の成果を享受するなということではなく、仕事をしてきたそもそもの理由を忘れてはいけないということです。また逆に、生活の糧を得るために人生のすべてを捧げるのもよくありません。私たちは、仕事と生産性の世界を放棄して、活動・挑戦のない世界に向かって行ってはいけないのです。

PS: つながる