「あなたは長年よく働いてきましたね。体力も衰えてきたことですし、そろそろゆっくりしてはどうでしょうか。そろそろ人生の収穫を得る時が来たのではないでしょうか。」
もちろんこれに対する社会的な答は引退です。しかしあなたは引退が私たちの精神に及ぼす影響について考えたことがあるでしょうか。なぜ多くの高齢者が不幸になるのでしょうか。なぜ彼らは人生に虚しさを感じるのでしょうか。運が良ければ、私たちは皆高齢になります。その時やって来るのを熱狂をもって待つべきなのでしょうか、それとも恐怖をもって待つべきなのでしょうか。
人生の晩年について考える前には、人生そのものについて根本的な問を自分に投げかけなければいけません。なぜ自分はここにいるのだろうという問です。この問にどう答えるかによって、老化や引退に対する考え方が変わってくるからです。
もし人生を物質的な利益や生産性のみで計ろうとするならば、老化による肉体の衰えは必然的に負担と見なされるでしょう。しかし人間はその真の豊かさが知的・感情的・霊的収穫で測られる霊的存在であることを理解すれば、魂が人生における主な力であるという認識に至ることになります。そして魂は肉体とは異なり、決して老いることはなく、ただ成長するだけなのです。
人間は物質世界を霊的にするために造られたものであるため、真の幸福に到達する唯一の方法は霊的成長と達成を通じてなのです。そしてこれは、人に与え、愛し、分かち合い、すべての行動に深い意味を見い出すことを意味します。
時間を超越した魂の存在を認識することは、老化のプロセスを理解する鍵であり、人生の黄昏時にチャンスの扉を開くための鍵です。人間の生産性は人間の創造性の直接的な結果であり、人間の創造性は魂の霊的エネルギーの直接的な結果なのです。
そもそも私たちは何から引退するのでしょうか。野心から。創造性から。自分の魂から。このような引退という態度は、単に死ぬ準備をしているということであり、生産するという使命をもってこの世に生を受けた人間には受け入れがたいことです。こう考えると、私たち人間には人生からの引退はないのです。
引退を勧める考えは間違いです。これは、それなりの量の富を蓄積した後では、ある年齢で生産になることを止め、物質的な成功と自由な時間を楽しむことが人生の目標だとする考えだからです。仕事の成果を享受するなということではなく、仕事をしてきたそもそもの理由を忘れてはいけないということです。また逆に、生活の糧を得るために人生のすべてを捧げるのもよくありません。私たちは、仕事と生産性の世界を放棄して、活動・挑戦のない世界に向かって行ってはいけないのです。