「ユダヤ流何事にも動じない方法」という講座を先々月9月と先月10月に行いました。ユダヤ流人生の知恵を味見してもらうために、8回の授業の中で特に実用性が高いと思われる2回の内容を簡単に文字にまとめて皆さんに紹介することにしました。今回はその2回目です。
いずれも心がけ次第で日常生活でできることです。ただし、そのための第一歩として、止めることが望ましいこうした言語行為を普段無意識にやり続けているということを自覚することが大切になります。この投稿がこのための助けになれば幸いです。
止めることが望ましい以下の4つの言語行為に共通するのは、いずれの場合もこれによって、自分が他人とは別個の存在であるだけでなく、他人よりも優れた別個の存在であるという自我の「好物」を自我に与え、自我を肥やすだけになることです。したがって、こうした言語行為を止めることは、自我の「栄養源」を断つことになり、結果として自我を手放すことにもつながることになるのです。
1 比較するのを止める
自分と他人を比較することの最大の問題のひとつは、それが他人の一部に善悪のレッテル貼りをしてしまうことにつながり、こうして貼られたレッテルが今度はその人全体を価値判断することに使われるということです。
例えば、ある人のある側面を自分よりも劣ると決めつけた後で、この人全体が自分よりも劣ると決めつけることです。
比較するのを止めるための効果的な方法のひとつとして、比較が何のためになっているのか自問自答してみてください。つまり、こうした比較の具体的に何が自我の「栄養」になっているのかということをまずは自覚してみるのです。おそらく比較は無意味だという結論にも至るはずです。
2 陰口を言うのを止める
比較はそれだけでも問題があるだけでなく、陰口に発展するというさらなる問題も抱えています。比較以上に、陰口は自我の強化に使われます。それも、他人を貶めることで自分を相対的に高め、一時的優越感に浸ることによってです。
まだ正常な感覚を失っていなければ、陰口を言った後では、一時的優越感はすぐに消え、悪い後味が続くのが普通なはずです。さらには、二日酔いのように苦痛がやってくることも少なくありません。
陰口を言うのを止めるには、まずは陰口を言い始めてしまったら、まずはそのことに気づくことが第一歩となります。次に陰口を言った後にどうなるかを思い出してみてください。陰口から得られる一時的優越感とそれに続く悪い後味・苦痛を天秤にかけてみるのです。そして陰口は、話題にされた人だけでなく、話をした自分、そして話を聞かされた人の3者を傷付けることになることも肝に銘じてください。
3 求められていない意見を言うのを止める
これは多くの人が、それも多くの場合善意のつもりで無意識にやってしまうことです。求められていない意見を言うのは、元をただせば、自己顕示につながっています。自己顕示によって得られる他人からの承認は自我の「大好物」です。
求められていない意見を言うのを止めるには、誰かが何かについて意見を言っても、それをただ黙って聞いているだけにするということを試してみてください。このいわゆる傾聴というのは、この文脈に限らず、コミュニケーションというもっと広い文脈においても、とても大切な(しかし多くの人は身につける機会のなかった)スキルです。
4 不平を言うのを止める
不平はあらゆる否定性の生みの親であるとも言われています。不平を言っても、結局自分が不幸だということが聞く方に伝わるだけです。不平を言えば、自分の恨みは正当化されるというのも勘違いです。正当化される恨みなど存在しないからです。そして不平は抵抗の一種でもあります。
これまたまだ正常な感覚を失っていなければ、不平を言った後では、抵抗した恨みは自分の中に残るだけというのが普通なはずです。そして残った恨みは普通苦難に変わります。不平を言っても、結局自分を二重に苦しめるだけだということになります。
不平を言うのを止めるには、(すぐに実行するのは簡単ではありませんが)抵抗するのをやめて、すべてをありのままに受け入れて、すべてに善を見つけるようにしてみてください。自我の誘惑に乗って不平を言う代わりに、自我を超越すれば、それを観察している相手も自我を超越する助けになることも肝に銘じてみてください。不平を言わない自分の存在を通して、その肯定的エネルギーが相手に伝わるのです。