2026-04-24

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その3

そうこうしているうちに、利口者が大きな名誉と多くの知恵をひっさげて戻ってきたというので、町は大騒ぎになりました。

純真者も心から喜び、迎えに駆けつけました。妻に「急いで外套を持ってきてくれないか。友を迎えに行ってくるから。」と言い、毛皮のコートを受け取り、急いで出かけました。

利口者は尊大に馬車に乗っていました。純真者は駆け寄り、愛情と喜びを込めて迎えました。「兄弟よ、友よ。ご無事でしたか。神のおかげで、こうしてまた会えましたね。」

けれども利口者の目には、世界そのものがどうでもいいことに見えていました。そんな彼には気狂いじみて見える純真者など、なおさら取るに足らない存在でした。それでも幼い頃に結ばれた深い愛情のために、利口者は彼に親しく接し、二人は一緒に町へ向かいました。

この二人の息子の父親、つまり二人の家主は、利口者が諸国を放浪している間にすでに亡くなっており、残されていたのは家だけでした。元の所に残っていた純真者は自分の父の家に移り住み、受け継ぎました。ところが外国にいた利口者には家を守る者がおらず、家は荒れ放題で、跡形もなくなっていました。戻ってきたものの、利口者には住む家がなく、宿屋に行ってみても気に入らず、そこで苦しみました。

ここで純真者は新しいことを見つけました。自分の家から愛情と喜びをこめて訪れるたびに、利口者が宿屋で苦しんでいるのを見たのです。「兄弟よ、私の家に引っ越して一緒に住みませんか。私の持ち物は一ヶ所にまとめますから、家の残りはすべて好きなようにしてください。」

利口者はこの提案が気に入り、純真者の家に移って一緒に住むことになりました。

利口者はいつも苦しみだらけでした。とても賢く、職人としても、そして素晴らしい医者としても名声を博していたので、ある要人がやって来て、金の指輪を作ってほしいと頼みました。

彼はとても素晴らしい指輪を作り、とても巧みに絵を彫り、さらに木を彫り込んで仕上げました。やがて要人が受け取りに来ましたが、指輪はまったく気に入りませんでした。

彼はとても苦しみました。この木彫りの指輪はスペインならば大いに珍重されることを彼自身よく知っていたからです。

ある時、大切な要人が遠くから取り寄せた宝石と、絵の彫られた宝石を持ってきました。そして取り寄せた宝石の方に同じ絵を彫るよう頼みました。利口者は同じ絵を彫りましたが、彼にしか分からないところで間違えてしまったのです。

要人は宝石を受け取ると、とても気に入りました。けれども利口者は間違いのせいでとても苦しみました。「自分はこんなに賢いのに、今間違いを犯してしまうとは。」と。

医術でも彼は苦しみました。病人を治療する時、自分では「この治療なら絶対に治る。」と確信していました。とても素晴らしい治療だったからです。しかし病人が後で死んでしまうと、世間から「彼のせいで死んだ。」と言われ、彼はとても苦しみました。逆に、治療して病人が治ると、今度は「偶然だ。」と言われ、彼はやはりとても苦しむのでした。

服が必要になった時も同じでした。彼は仕立て屋を呼び、自分の望み通りに仕立てるよう、必死に説明しました。仕立て屋は要領を得て、彼の望み通りに服を仕立てましたが、襟の一つをきちんと揃えないという間違いを犯してしまいました。そのため彼はとても苦しみました。

ここでは誰も気づかないので、服としては立派でした。けれども彼は知っていたのです。スペインでこんな襟をしていたら、滑稽だと思われて笑いものになると。こうして彼はいつも苦しみだらけでした。

純真者が利口者のところへ喜んで駆けて行くたびに、彼が悲しみ、苦しみだらけなのを見るのでした。

「あなたのように賢くて裕福な人はいないのに、どうしていつも苦しんでいるのですか。私はいつも喜びにあふれているというのに。」この言葉は利口者には滑稽に思え、純真者は気狂いにしか見えませんでした。

すると純真者は言いました。「私を馬鹿にしている人たちだって、馬鹿なのです。私より賢いとしても、まずは彼らが馬鹿なのです。あなたのように賢い人なら、なおさらです。私より賢いからといって、それが何だというのですか。」

さらに純真者は声を上げました。「あなたが私と同じ純真さのレベルに達することができればいいのですがね。」

利口者は答えました。「私はあなたのレベルに達することもできるかもしれない。だがそうなったら、とんでもないことに、知性を失うか、病気になるかして、気狂いになるだろう。あなたは一体何者なのか。気狂いではないか。あなたが私のレベルに達して、私のように賢くなるなんて、絶対にありえない。」

純真者は答えました。「神にかかれば、すべては可能です。またたく間に、私はあなたのレベルに達するかもしれませんよ。」

すると、利口者は彼を笑いものにしました。

PS: つながる

2026-04-17

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その2

ここで利口者の話はいったん脇に置いて、純真者の話を始めましょう。

純真者は靴屋の仕事を学びました。純真だったので、習得のためにはたくさん学ばなければなりませんでしたが、それでも完全に熟達することはできませんでした。彼は妻をめとり、この仕事で生計を立てていました。

純真で、仕事にそれほど熟達していなかったので、家計はいつも切羽詰まり、切り詰めなければなりませんでした。休みなく働かなければならず、食べる暇さえありませんでした。

仕事に完全には熟達していなかったので、仕事をしている時だけ、つまり靴屋が普通するように、千枚通しで穴を開け、太い糸を通す時だけ、パンを一切れかじるのでした。それでも彼は、いつもとても陽気で、喜びにあふれていました。

彼は食べ物も飲み物も服もすべて足りていました。「おまえさん、何か食べさせてくれないか。」と妻に言うと、パンを一切れ受け取りし、彼はそれを食べました。「蕎麦粥入りのスープをくれないか。」と言うと、またパンを一切れ受け取り、食べながら、褒めちぎって言うのです。「このスープはなんて美味しく、なんて素晴らしいんだ。」

同じようにして、肉やほかのごちそうを頼むと、そのたびにパンを一切れ受け取っては満足し、まるで本当にその食べ物を食べているかのように褒めちぎりました。パンを食べると、望んだどんな味でも本当に感じられるのでした。これは彼が純真で、とても陽気だったからです。

「おまえさん、ビールを飲ませてくれないか。」と頼んで水をもらうと、彼は褒めちぎりました。「このビールはなんて素晴らしいんだ。」「蜂蜜をくれないか。」と頼んで水をもらうと、また褒めちぎり、「ワインをくれないか。」と頼んで水をもらうと、それを本当にワインのように楽しんで褒めちぎるのでした。

服についても同じでした。夫婦に毛皮のコートは一着しかありませんでした。市場に行くときなど毛皮のコートが必要になると、「おまえさん、毛皮のコートを持ってきてくれないか。」と頼み、妻から受け取るのでした。人前に出るとき羊革のコートが必要になると、「おまえさん、羊革のコートを持ってきてくれないか。」と頼み、同じ毛皮のコートを受け取っては満足げに褒めちぎるのでした。「この羊革のコートはなんて素晴らしいんだ。」シナゴーグに行くときカフタンが必要になると、「おまえさん、カフタンを持ってきてくれないか。」と頼み、毛皮のコートを受け取っては褒めちぎりました。「このカフタンはなんて素晴らしいんだ。」外套が必要になるときも同じで、「おまえさん、外套を持ってきてくれないか。」と頼み、毛皮のコートを受け取っては満足げに褒めちぎりました。「この外套はなんて素晴らしくて、なんてきれいなんだ。」

そして万事がこの調子でした。彼はいつも喜びと明るさにあふれていたのです。

彼が靴を仕上げると、それは三角の形をしていました。技を完全に習得していなかったからです。それでも靴を手に取ると、彼はとても褒めちぎり、妻に満足げに言いました。「おまえさん、この靴はなんて素晴らしいことか、なんてすてきなことか。この靴はまるで蜂蜜や砂糖みたいだ。」

すると妻が尋ねました。「もしそうなら、どうして他の靴屋が一足三グルデンもらうのに、あなたは一グルデン半しかもらわないのですか。」

「それが私に何の関係があるというのだ。それはあちらの仕事、これは私の仕事だ。」と彼は答えました。そして続けました。「なぜ他人の話を持ち出すのか。それよりも、この靴でいくら純益があるか考えてみよう。革の値段はこれこれ、やにと糸の値段はこれこれ、糊の値段はこれこれ、ほかの品の値段はこれこれ。これで純益は十グロシェン。これだけ純益があれば、何も気にならない。」こうして彼はいつも喜びと明るさにあふれていたのです。

世間では彼は笑いの種にされていました。人々は彼を気狂いだと思い、好き勝手に笑いものにして楽しんでいました。彼を笑いものにするためにやって来て、わざと彼と話を始めたのです。

しかし純真者が「笑いものにするのだけはやめてください。」と言うと、人々は「笑いものになどしていませんよ。」と答えました。すると彼はその言葉を真に受けて、話し始めるのでした。純真だったので、これ自体が自分を笑いものにしていることになるのかどうかを深く詮索したくなかったのです。

彼らが自分を笑いものにしようとしていると分かると、彼はこう言いました。「あなたが私よりも賢いとしたら、どうだというのですか。まずはあなたが馬鹿ではありませんか。私が何だというのですか。あなたが私よりも賢いとしても、まずはあなたが馬鹿ではありませんか。」

(これがすべて純真者のやり方でした。ここから元の話に戻ります。)

PS: つながる

2026-04-10

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その1

ハシディズムの教えを含むユダヤ流人生の知恵を伝える効果的な方法のひとつとしてハシディズムの説話が持つ力を再認識していたところ、早期退職したイスラエルの大学のかつての同僚で、ハシディズムの専門家から、ハシディズムのある有名な古典的説話集(ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話)を日本語に翻訳しないかという依頼を受けたのが2024年末でした。

その後、皮肉にもこの大学から月給をもらうという形で、2025年1月から2026年2月までの14ヶ月かけてこの説話集をヘブライ語とイディッシュ語の原典から日本語に翻訳するという仕事を完了させました。これを商業出版するために、企画案をまとめ、今出版社を探しているところです。

出版に先立って、この説話集に収められた13の寓話の中で、個人的に一番気に入っているもの(利口者と純真者の話)を今回から6連載の形で、日本の皆さんにご紹介したいと思います。説話は本来誰にでもわかるような言葉で口頭で語られたというその起源に鑑み、これ以上の説明はしないことにします。


むかし、ある町に二人の家主がいました。二人はとても金持ちで、大きな家を構えていました。それぞれには息子がひとりずついて、同じ寺子屋で学んでいました。

この二人の息子のうち、ひとりは利口者、もうひとりは純真者でした。(間抜けではなく、ただ素直で利口ではないというだけでした。)それでも二人はたいへん仲良しでした。ひとりは利口者でしたが、もうひとりは純真者で、利口ではありませんでした。それでも二人はたいへん仲良しでした。

やがて、家主たちは次第に身を落とし、ついにはすべてを失って、貧乏になってしまいました。残ったのは家だけでした。

息子たちは大きくなっていたので、父親たちは言いました。「もうお前たちを養うお金はない。だから自分の力でできることを探しなさい。」

純真者は靴屋になるために修行に出て、腕を磨きました。

頭が切れる利口者はこんな単純な仕事には就きたくありませんでした。世界に出て、何をすべきか見てみようと考えました。

彼が市場に出かけ、歩いていると、馬具を付けた四頭立ての馬車が駆け抜けていきました。利口者は商人たちに声をかけました。「どこから来たのですか。」「ワルシャワからです。」「どこへ行くのですか。」「ワルシャワです。」

「下働きはいりませんか。」と尋ねました。彼が頭が切れて勤勉だと分かると、商人たちは気に入り、雇いました。こうして一緒に旅をし、利口者は道中とてもよく仕えました。

頭が切れる彼はワルシャワに着くと、考えました。「せっかくワルシャワにいるのに、なぜ彼らに縛られていなければいけないんだ。もっといい場所があるかもしれない。探してみよう。」

彼は市場を歩き回り、自分をここまで連れてきてくれた人たちのことや、もっとよい場所はないかを調べ尋ねました。人々は言いました。「あの人たちは誠実だから、そこにいるのがいい。」

けれども彼らのところにいるのは大変でした。商売で遠くまで出かけなければならないからです。

また歩いていると、服屋の店員たちが目に入りました。服屋の店員にはよくあるように、帽子には色々な飾りを付け、靴の先は尖り、歩き方にも身につけた物にもさまざまな飾りをしていました。頭が切れて鋭い彼は、これがとても気に入りました。かっこよかったからです。そして家の中でできる仕事だったからです。

そこで利口者は、自分を連れてきてくれた人たちのところへ行き、お礼を言いました。もう彼らのところにいるのはしっくりこないし、道中の奉公で恩返しは果たしたと伝えました。

利口者はある店主のもとで働き始めました。店員にはよくあるように、新米のころは稼ぎが少ないわりにきつい仕事をしなければならず、だんだん昇進していくのです。

店主は彼にきつい仕事をさせました。雇われ人によくあるように、顧客の家へ商品を届けるのを任されたのです。服を腕に抱えて運ぶのですが、これは彼にはとてもきつい仕事でした。ときには商品を担いで何階も上がらなければならず、仕事は彼にとって本当に大変でした。

彼は利発な哲学者だったので、こう考えました。「こんな仕事をして何になるのか。大切なのは目的があることで、それは妻をめとり、生計を立てることだ。だが、まだ考える必要はない。そのための時間は将来いくらでもある。今はこの国をめぐり、いろいろな国へ行って、世界を見て楽しむことだ。」

市場に行くと、商人たちが大きな馬車に乗っていました。「どこへ行くのですか。」「ラゴルナです。」「そこへ私を連れて行ってくれませんか。」「分かった。」

彼はラゴルナまで連れていってもらい、そこからイタリアへ船で渡り、さらにスペインへ向かいました。そうこうしているうちに何年も過ぎました。多くの国を旅したので、彼はいっそう利口になりました。

「今こそ目的を見つめるときだ。」と彼は考えました。自分の哲学をもとに、何をすべきか考え始めたのです。

彼は金細工の修行が気に入りました。すばらしく、かっこよく、知恵が込められた仕事だからです。しかももうかるのです。

彼は利発な哲学者だったので、何年も修行する必要はありませんでした。たった三ヶ月で技を身につけ、とても熟練した職人になったのです。そして師匠をも超えるほどの腕前になりました。

それから彼は考えました。「今はこのような技を身につけているが、これだけでは不十分だ。今は尊敬されているが、時が変われば、別のものが尊敬されるようになるかもしれない。」

こうして宝石加工の修行に出かけました。利発さのおかげで、この技もわずか三ヶ月で習得しました。

すると彼は自分の哲学をもとに考えました。「今は二つの技を身につけているが、どちらもやがて尊敬されなくなるかもしれない。いつの時代でも尊敬される技を学ぶのがよい。」

そこで彼は自分の利発さと哲学を頼みに思索し、いつでも必要とされ尊敬される医学を学ぶことにしました。医学を学ぶうちに、まずラテン語とその書き方を学ばなければならないことが分かりました。さらに哲学を体系的に学ぶ必要があることも分かりました。

それも利発さのおかげで、わずか三ヶ月で学び終えました。そして偉大な医師兼哲学者となり、あらゆる知恵に通じるようになりました。こうして偉大な職人、賢人、医者になったものの、世界は彼の目にはどうでもいいことのように思えてきました。

そこで彼は目的を定め、妻をめとろうと考えました。しかし自分に言い聞かせました。「もしここで妻をめとってしまったら、自分の成し遂げたことを誰が知るだろうか。家に戻って見せるのがよい。あの小さな子どもが今はここまで立派になったのだと分かるように。」

こうして彼は家に戻る旅に出ました。ところが道中とても苦しみました。利発すぎるせいで、話し相手が見つからず、自分の目にかなう宿もなく、とても苦しかったのです。

PS: つながる