2026-03-06

ユダヤ古典文献の翻訳を通した将来の日本への投資

複数の言語を学び、知っていると言うと、大体決まって返ってくる言葉のひとつが、翻訳をしているか、あるいは翻訳をしたら、というものです。確かに、金銭的必要に迫られて翻訳(そして通訳)をしたことはこれまで何度もありましたが、自ら進んでやりたいと思える仕事ではありませんでした。それが、ある偶然が重なって、ある翻訳を頼まれて引き受けることになり、翻訳に対する味方が大きく変わりました。そして今後ずっと続けていきたいとすら思うようになったのです。

2024年の末頃、ユダヤ流人生の知恵ということで日本に伝えようとしている教えを伝えるためにも効果的な方法としてハシディズムの説話の力を痛感していたところに、早期辞職したイスラエルのかつての職場の同僚から、ハシディズムの有名な古典的説話(より正確には寓話)集をヘブライ語(とイディッシュ語)の原典から日本語に翻訳しないかと頼まれたのです。

これは願ったり叶ったりのことで、責任の重さを感じつつも、引き受けることを即決しました。その後、2024年12月末から1日3時間、週4日という速度で進め、全部を翻訳し終えたのが7ヶ月後、そして全部の文体を磨き直し終えたのがさらに7ヶ月後の2026年2月末でした。これからは日本の出版社探しが待っています。

この寓話集は単なる翻訳の域を超えて、ヘブライ語とイディッシュ語の原典をそれぞれの言葉の響きを含めて深く読み込む必要があったため、その内容に深い影響と感銘を受けました。そしてこの翻訳をしている間に浮かんだ思いが、翻訳を終える頃までには確信に変わりました。

それは、ユダヤ古典文献、より正確には、日本に伝えたいと思ってきたユダヤ流人生の知恵の元になっているハシディズムの教えのさらに元になっている古典文献をヘブライ語(とイディッシュ語)から日本語に翻訳することを通して将来の日本に投資するということです。

なぜ将来の日本かというと、これまで数年にわたる試行錯誤の結果、この知恵をもっと多くの人が受け入れてくれるための器が、残念ながら今の日本にはまだ整っていないと結論付けざるをえないからです。こればかりは間違っているといいのですが。

翻訳、それもしかるべき信頼できる出版社から出したものであれば、こうした古典文献に興味を持ってくれて、ひいてはそれに基づいた教えにも興味を持ってくれるような器を備えた人たちが現れるまで、辛抱強くずっと待っていてくれると思ったからです。

こう考えて、もう次に翻訳したいと以前からずっと目をつけていたある古典文献を最終的に決めました。上の寓話集を翻訳し終えてすぐに神戸に出かける機会があって、その際にはずっとお世話になってきた神戸在住のラビとこの件について相談したところ、精神的な支援だけでなく、もっと実質的な支援まで提案してもらい、大きく励まされると共に、責任の重さも改めて痛感しつつ、ラビの元を後にしました。

PS: つながる