自分が集団洗脳をずっと受け続けてきたことを初めて自覚するようになったのは、それまでずっと聴いていたある国のある放送局が閉鎖されて、仕方なくその国の別の放送局を聴くようになってからです。今から約1年半前のことです。全世界に大きな影響を与えるある地政学的な問題についての両局の報道が両極端だったので、最初は混乱しました。どちらを信じていいか分からなかったからです。
この疑問に対する自分なりの答を探すべく、信頼できると思われた独立系のジャーナリストや地政学の専門家を芋づる式に何十人も見つけ、その後彼らの意見・分析を毎日結構な時間をかけて読んだり聴いたりしているうちに、それまで聴いてきたある国の閉鎖された放送局、そしてそれと基本的に同じ報道内容である西側のマスコミの報道は、公言できないある特定の集団の利害を擁護・推進するためのプロパガンダであると確信するに至りました。
西側のマスコミばかりを確認して、それを鵜呑みにしている人たちが例えばイスラエルでも大半です。例えば上述のある地政学的な問題についてこうした西側のマスコミが報道する内容(つまりプロパガンダ)とは真逆な私自身の意見をそういう連中に話しても、信じてもらえず、悪者扱いされるだけなので、沈黙するようになりました。
そしてかつての自分が集団洗脳を受け続けていたことに気づいていなかったように、集団洗脳を受け続けている人たちは普通誰も自分たちが集団洗脳を受け続けていることに気づいていないことにも気づくようになりました。そして集団洗脳はマスコミによるプロパガンダだけでなく、もっと巧妙な方法でも行われ続けていることにも気づくようになりました。
その最たるものが、自分が生まれ育った社会集団の慣習を学校教育を通して、そしてそこに暮らし続けることで周りから受ける影響を通して受け続ける集団洗脳です。いわゆる集団自我のこうした集団洗脳にはマスコミ以上に気づかないのが普通でしょう。自分たちでも知らない間に色々なことが刷り込まれ、その集団自我に都合がいいような発言も行動も無意識にするように大半の人はなってしまっています。
このことに自分で気づくことは至難の技です。プラトンの洞窟の寓話にあるように、一生洞窟の中でしか暮らしたことがない人たちに、ある偶然から洞窟の外の世界を見てしまった人が何を言っても信じてもらえないのと同じことです。
今回イスラエルを離れる際に気づくようになった、イスラエル社会(そしておそらく日本社会も含めた世界中の多くの社会)での集団洗脳の例としては、人生の目的は「成功」することであるという強迫観念、そして誰か・何かについてできる限り知らなければいけないという強迫観念です。
いわゆる「成功」というのは自我の視点であって、魂の視点からすれば、人生の目的は霊的成長です。そして誰か・何かについてできる限り知らなければいけないとするのも自我に発していると思われ、それは肉体という境界線で仕切られた個人という幻想の分離を維持していくためだと思われます。
そして社会による集団洗脳の中でも最も厄介なのは集団そして個人のアイデンティティーに関わるものです。つまり自分たちとは誰なのかについての集団洗脳です。集団としてのアイデンティティーの大きく貢献しているのがいわゆる国語と国史の教育です。これらを通して培われる国民意識は国を運営していくためには必要なものであることは認めるものの、基本的には集団自我の幻想にすぎません。
特定の国の公用語の教育を通してなされるこうした集団洗脳に他に、言語そのものは集団洗脳以外に個人レベルでの本当に厄介な洗脳という役割も担っています。自分は誰なのかという個人のアイデンティティーについての自我の幻想を植え付けるという役割です。
子供が言語を習得していく過程で自我という幻想が決定的なものになる段階が2つあります。第1は、親をはじめとして周りから呼ばれる名前が自分を指していることに気づき、その名前が自分だと思いこむようになった時です。第2は、「私」という言葉を覚えた時です。これによって自我、特にその思考の牢獄での一生が始まることになるのです。
もちろん、言語にはコミュニケーションの手段という大切な「光」の部分はありますが、自我という幻想を与え補強するという「闇」の部分があることも忘れてはいけないと思います。残念ながら、言語学では前者しか扱っていません。最近出版された「言語の本質」という新刊を読んでも、題名とは裏腹に著者たちは言語の本質の一面、つまり「光」の部分しか捉えておらず、「闇」の部分についてはおそらく自覚すらないのではないかという印象を受けました。
最後に、ここまで読んでいただいた皆さんの中には、それでは一体どうやってこうした集団自我そして個人自我の幻想に気づき、その支配から抜け出すことができるのだろうと思われた方もいるかもしれません。そのためのいくつかの方法の中で、私自身が直接体験して成果があったユダヤ教の非二元論としてのハシディズムの教えを「ユダヤ流人生の知恵」と称してこれから少しつづ日本の皆さんにも伝えていくことを人生第2のキャリアにしたいと思っています。
「ユダヤ教」、「非二元論」、「ハシディズム」と聞かれて、色々な先入観が浮かんで来るかもしれません。自我の思考によるレッテル貼りという先入観はできれば一先ず脇に置いて、皆さんにお伝えしていくことを内容本位に受け止めてもらえれば、私としてはありがたいです。