2023-10-13

自我の思考の24時間生放送

特別な訓練を受けていない多くの人にとって、考えるという行為の多くは、例えば食べるといった意図的な行為よりも、呼吸するとか消化するといった自動的な行為により近いことは、少し考えてみればすぐに気づくことです。

思考の数をどうやって数えるのかという問題はさておき、私たちには1日に数万の思考が私たちの自由意思とは無関係に沸き起こると言われています。

こうした思考は自我に発するもので、私たちが経験する現実に対しての解釈という形を取ります。例えば、ヘブライ語を学んでいるということを誰かが話したとします。すると、なぜこの人がヘブライ語を学ぶのかといった憶測が頭の中でうごめき始めるはずです。

他の例を挙げれば、誰かが約束の時間になっても現れないとします。極端な場合、もうこの相手とは絶交してやるという思考とかも湧いてくるはずです。でも、実際にはこの遅れは何らかの不可避の事故のせいだったことが後になって分かることもあります。

前者の例ではそれほどでもありませんが、後者の例ではこうした自分の自由意志とは無関係に沸き起こる思考のせいで自分を苦しめる結果になっています。

これらの例はごく一部であって、私たちは自我の思考を24時間生放送している放送局を自分の中に設置しているようなものです。このせいで、経験する現実に解釈を挟まずにありのままに受け入れることができないようになっているのです。

人によっては、こうした自我の思考をわざわざ言葉に出して実況放送してくれる人もいます。例えば喫茶店での雑談とかは、こうした実況放送を相互に聞かせているというのが普通でしょう。

繰り返しますと、普通こうした自我の思考の24時間生放送は自分の自由意志とは行われるため、自分の自由意志で止めることもできません。呼吸や消化を自分の自由意志で止めることができないのと同じです。

しかし学びと訓練次第ではこれを止める、あるいは少なくとも減らすことができるようになり、自我の思考の生放送の間に内的静寂という隙間ができることにもなります。そして一旦この隙間の間隔を直接体験すれば、それからは自分の自由意志でその長さと頻度を増していくこともできるになります。

この内的静寂は思考停止ではありません。思考の燃料漏れ停止というのがより正確です。こうした燃料漏れがなくなることで、本当に考えなければいけない時に、思考の燃料を有効活用ができるようになるのです。

そして自我の思考の24時間生放送から内的静寂に移行していくことによって得れれる最大の恩恵は、否定的解釈によって自分自身に加えてきた苦難、つまり自我の思考の牢獄から自分を解放できることでしょう。