誰かに何かを伝える際の道具として普通は一番最初に思いつく言語には書き言葉と話し言葉がありますが、どちらがより効果的なのでしょうか。この問に対するユダヤ的な答は場合によりけりです。;-) つまり何を伝えるかによってそれぞれの有効性は異なります。
人生の約30年間を過ごした大学で伝えることを期待され、実際に伝えてきたのは主に知識でした。今から約7年前に霊的覚醒の第1波を経験するようになって、知識よりも知恵に興味を持つようになり、大学を早期辞職し、知識よりも知恵を伝える仕事にこれからの人生を費やすことにした次第です。
それでは、この点に関して知識と知恵にはどんな違いがあるのでしょうか。知識と知恵の比較に言語習得やスポーツ・武術といったスキルを加えることもできるでしょう。以下はこれまでの私自身の経験に先人たちの経験を加味した、知識を伝えることと知恵およびスキルを伝えることの違いの私なりの理解・説明です。
知識の場合、口頭での教えを文字化しても、その教えは基本的にすべて伝わるだけでなく、場合によっては伝わる量も質も増します。これに対して、知恵やスキルを伝えようとする場合、口頭での教えを文字化すると、その教えの一部は(そして知恵の性質によっては多くが)確実に失われてしまいます。
これに加えて、知恵でもスキルでもそもそも言葉だけは伝わらない大切なことがあります。言語外のことは当然ながら言語化することができず(あるいはできたとしても一部しかできず)、したがって文字化にも大きな制限・制約が伴います。
そして直接体験を言語化、ひいては文字化することも困難あるいは不可能です。その直接体験をしたことがある人には言葉で、それも文字で説明しても一部は伝わるかもしれませんが、したことがない人には口頭で説明しても全く伝わらないでしょう。
簡単な例を挙げてみましょう。例えば、一度も愛し愛された経験のない人に愛とは何かを言葉だけで、特に文字だけで伝えられるものでしょうか。いくら頑張っても、一種の精巧な「食品サンプル」になるのが関の山です。厄介なのは、こうした「食品サンプル」が精巧であれば精巧であるほど、「食品」そのものだと勘違いしてしまう危険性があることです。
さらに特に知恵の場合、言語化できる内容でも直接体験でもないとても大切なメッセージがあります。それはその知恵を伝えようとする人の生き様を含む存在感・オーラです。これだけは文字では絶対に伝わりません。同じ口頭でも、オンラインとなると伝わるエネルギーは弱まってしまいますが、それでも、おそらくほとんどあるいはまったく何も伝わらない文字でとは雲泥の差があります。