大人は子供から学べるだけでなく、子供に対して責任も持っています。子供の肉体的生存と経済的生存を支える責任の他に、社会の決まりという名の元に、子供の好奇心の芽を潰すのではなく、伸ばしてあげるという大きな責任もあります。潰すのに最適なのは、例えば叱る・罰するといった減点主義であるのに対して、伸ばすのに最適なのは、褒めるといった加点主義です。
減点主義と加点主義についての個人的な補足と感想
皆さんが子供だった頃、ご両親からどう育てられましたか。そして今子育てをされている方は、ご自身のお子さんたちをどう育てられていますか。一言でいうと、減点主義ですか、それとも加点主義ですか。子育てに限らず、来週からご紹介する教育でも、そして人生全般でも、日本社会と伝統的なユダヤ社会を比べると、一般に前者はより減点主義的で、後者はより加点主義的ではないかというのがこれまでの経験から感じることです。
この連載も含めて、この私塾で日本に皆さんにお伝えしようとしている教えの元になっているハシディズムは特に加点主義的・肯定主義的です。それでは伝統的なユダヤ社会には減点主義的・否定主義的な教えがないかというと、これがあるのです。そしてこの教えを直接受け継ぐラビからを3年間エルサレムで学ぶという経験もしまいした。
これは「ムサル(運動)」と呼ばれる一種のユダヤ倫理学で、もっと簡単な言葉でいうと、性格矯正のための教えです。ハシディズムに反対する連中の間で始まったもので、今でも反ハシディズム系の超正統派イェシヴァではカリキュラムの一部になっています。
この教えを学び続けていると、典型的には以下の2つの反応のうちのどちらかが出てくると言われています。1つは、自分は性格矯正を完了したと思い込んで優越感に浸り、周りの人たちを見下すようになることです。もう1つは、自分には性格矯正は無理だと諦めて憂鬱になることです。私自身、前者の反応がでてくるようになって、当日まだ勤めていた大学の元学生たちの関係が険悪になりました。
このことをあるラビに相談したところ、ムサルの学びを止めるように勧められました。そしてそれから少しして触れ合うことになったのがハシディズムの教えでした。極度の減点主義的な教えに慣れた者にとって、加点主義的な教えは砂漠で辿り着いたオアシスのように思えたものです。
減点主義は闇に焦点を当てることであるのに対して、加点主義は光に焦点を当てることだと言うこともできます。闇に焦点を当てると、闇はますます深くなるのに対して、光に焦点を当てると、闇は自然に雲散霧消してしまいます。真っ暗な部屋にロウソクの炎を灯す場面を想像してもらえれば、分かりやすいでしょう。