苦痛は人生の見方を変える機会です。人生が順調に進んでいる時は、すべてを当然のこととして受け止めてしまいますが、苦痛を体験すると、人生を新たな視点から見直すことができるようになるからです。
だから私たちが本当に問うべきことは、なぜ苦痛を経験することがあるのかということではなく、そこから何を学べるのかということなのです。
苦痛は何かがおかしくなっているということを示す印であることがよくあります。その原因を見つけるには、人生を別の角度から見つめなければなりません。物質主義的な生活を送っている人は、苦痛を誤認することがよくあります。苦痛を感じると、その苦痛のことばかりに気を取られ、他のことは何も感じられなくなるのです。
しかし私たちは単なる肉体ではなく、肉体を借りた魂であるということを理解すれば、人生にははるかに崇高な目的があることも理解するようになるのです。そうすれば、苦痛にもはるかに深い意味があることにも自ずと気付くことになります。
私たちの人生の目的は、物質的な快適さを得て、束の間の幸福を追求することにあると一見思えるかもしれません。しかしこうした目的は浅はかで無意味であることに気付くようにもなります。人生の本当の目的はこの物質的な世界を霊的に高め、自分自身に挑戦することです。人生とは挑戦であり、挑戦とは善と悪という両方の可能性を突きつけられた時に善を選択をすることです。一時的に墜落するという可能性がなければ、人生に独立性はなく、したがって意味もないということになります。
苦痛には本当の意味での説明はありません。私たちが苦痛を理解する唯一の方法は、世界そのものが本質的に善であり、苦痛は何らかの形でより大きな善の一部であると理解することなのです。これは、苦痛そのものが良いということでも、苦痛を心穏やかに受け入れるべきだということでもありません。
苦痛は生命の神秘の一部であり、人間の目には最初は見えないが、時間が経つにつれて明らかになる大きな絵であるということも理解しなければいけません。苦痛がいかに不幸中の幸いであるかを見出し、苦痛を克服することで肉体と魂の調和を取り戻すことが私たちの義務なのです。