私たちは、仮に世界のすべてが善であるというハシディズムの信念に従うとしても、苦痛を当然の状態として受け入れることはなく、普通はそれから解放されるためには手段を選ばないものです。そして苦痛は私たちの折角の信念も砕き、はっきりと考えることができなくなり(つまり苦難を生み出してしまい)、解放のためにどのような助けを求めたらいいのかも判断できなくしてしまいます。本当に有意義な人生を送るためには、苦痛(と苦難)にどう対処すべきかを考えておく必要があります。
世界のすべてが善であるというハシディズムの信念を貫き通すことができれば、たとえ苦痛が収まらなくても、それを人生の挑戦の一部として受け入れることができます。そして理想としては、この経験は霊的に成長する貴重な機会にもなります。
しかしこれは私たちにとって大きな課題でもあります。つまり、苦痛によって衰弱してしまうのか、それとも自分の信念をより深く掘り下げるための触媒としてとらえるのか、という2つの選択肢があるのです。もし苦痛を後者のように捉えることができれば、その経験を通して今まで以上に強く生まれ変わることができることにもなります。
私たちが苦痛の意味を本当に理解できるのは、普通はその経験の前か後だけです。苦痛(と苦難)の最中には、ほとんど何も言えません。だから、「豊作の年」の間に「飢饉の年」に備えておくことが望ましいのです。苦痛(と苦難)を経験することなく人生が進んでいる間に人生を本当に理解しておけば、苦痛が襲ってきた時にうまく対処することができる可能性が高まります。強い根を持つ木は厳しい嵐に耐えることができますが、嵐を目前にして初めて突然根を伸ばすそうとしても、不可能だからです。