2026-03-13

自分のためか、他者のためか

ある集まりで最近知り合った人たちのやり取りの中で、自分の人生の最大の目的は楽しむことであるという同じ言葉を言ってくれた人が何人かいました。人生を楽しむこと自体は節度をわきまえ、本質を見失わないかぎりは否定すべきものではないはずです。

しかしこの言葉について考えれば考えるほど、楽しむことを人生の最大の目的にするのかどうだろうかという違和感は増す一方でした。この違和感がどこから来るのかについて、その後はっきりするようになりました。

少なくとも一般に言う人生を楽しむという考えは、絶えず変化していく外的要因に依存しすぎているであろうことが違和感の大きな理由のひとつです。私たちの中には誰にも変えることができない恒常的なものが眠っているのです。それは魂の自然な状態としての喜びです。真の喜びとは、外的要因が加わることで、生まれ、維持されていくものではなく、それを覆い隠しているものを取り除くことで湧き出てくるものです。

これ以上に大きな違和感の理由は、これまた一般に言う人生を楽しむという考えは、結局は自分のため、つまり自我の様々な欲求のいずれかを叶えることによって得られるものであろうことです。これまた、このこと自体は、節度をわきまえ、他者の犠牲の上に立ったものでないかぎり、基本的には否定すべきものではないはずです。

しかしこれだけで終わってしまうのでは、私たちがこの世に生を受けた意味、つまり人生の使命を全うすることにはつながらないことになります。そうなると人生というせっかくの機会を十分活用することなく終わってしまいかねないのは、残念すぎるとしか思えないのです。

人生の使命とは、他者のために何ができるかということだと言い換えることもできます。これまた残念ながら、自分の使命に気づくことなく、人生を終わってしまう人も少なくはずです。これだけ大切なものなのに、生まれてくる時にへその緒にでも人生の使命を書いてくれていればよさそうに思えるかもしれません。でも、人によってそれぞれことなる人生の使命を自分で見つけること自体がすべての人に共通な人生の使命であるという教えもあります。

自我の欲求を叶えることによって得られることが楽しみだとすれば、他者のために奉仕することは、魂の必要性を叶えることになり、それによって得られるものは喜びということになるのではないでしょうか。皆さんの中にはここである矛盾を感じられる方もおられるかもしれません。ここでの喜びは外的要因から来るものではないかという矛盾です。

しかしこれが矛盾と感じられるのは、自分と他者とが別物であるという自我の幻想のせいなのです。例えて言えば、海の波が空想上の境界線を作り上げて、自分と他の波とを分けるようなものです。実際は波は海の一部にすぎないのです。

ここでいう他者のために奉仕するとは、自我の幻想を打ち砕くことにもつながります。そうなると、本当の自分を覆い隠しているものを取り除くことになり、上で簡単に説明した通り、本来の状態である喜びが湧き出てくるということになり、矛盾もなくなります。

以上、ここで言う楽しみと喜びは本質的に異なるものであることがお分かりいただけたことを願っています。いずれにせよ、人生のいずれかの段階で、楽しみから喜びへ移行することができれば、しめたものです。その後の人生はまったく別の意味を持ち始めることになるはずだからです。海にようこそ。と言っても、もともと海の一部のままであり続けていたのですがね。(笑)

PS: つながる