2026-04-10

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その1

ハシディズムの教えを含むユダヤ流人生の知恵を伝える効果的な方法のひとつとしてハシディズムの説話が持つ力を再認識していたところ、早期退職したイスラエルの大学のかつての同僚で、ハシディズムの専門家から、ハシディズムのある有名な古典的説話集(ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話)を日本語に翻訳しないかという依頼を受けたのが2024年末でした。

その後、皮肉にもこの大学から月給をもらうという形で、2025年1月から2026年2月までの14ヶ月かけてこの説話集をヘブライ語とイディッシュ語の原典から日本語に翻訳するという仕事を完了させました。これを商業出版するために、企画案をまとめ、今出版社を探しているところです。

出版に先立って、この説話集に収められた13の寓話の中で、個人的に一番気に入っているもの(利口者と純真者の話)を今回から6連載の形で、日本の皆さんにご紹介したいと思います。説話は本来誰にでもわかるような言葉で口頭で語られたというその起源に鑑み、これ以上の説明はしないことにします。


むかし、ある町に二人の家主がいました。二人はとても金持ちで、大きな家を構えていました。それぞれには息子がひとりずついて、同じ寺子屋で学んでいました。

この二人の息子のうち、ひとりは利口者、もうひとりは純真者でした。(間抜けではなく、ただ素直で利口ではないというだけでした。)それでも二人はたいへん仲良しでした。ひとりは利口者でしたが、もうひとりは純真者で、利口ではありませんでした。それでも二人はたいへん仲良しでした。

やがて、家主たちは次第に身を落とし、ついにはすべてを失って、貧乏になってしまいました。残ったのは家だけでした。

息子たちは大きくなっていたので、父親たちは言いました。「もうお前たちを養うお金はない。だから自分の力でできることを探しなさい。」

純真者は靴屋になるために修行に出て、腕を磨きました。

頭が切れる利口者はこんな単純な仕事には就きたくありませんでした。世界に出て、何をすべきか見てみようと考えました。

彼が市場に出かけ、歩いていると、馬具を付けた四頭立ての馬車が駆け抜けていきました。利口者は商人たちに声をかけました。「どこから来たのですか。」「ワルシャワからです。」「どこへ行くのですか。」「ワルシャワです。」

「下働きはいりませんか。」と尋ねました。彼が頭が切れて勤勉だと分かると、商人たちは気に入り、雇いました。こうして一緒に旅をし、利口者は道中とてもよく仕えました。

頭が切れる彼はワルシャワに着くと、考えました。「せっかくワルシャワにいるのに、なぜ彼らに縛られていなければいけないんだ。もっといい場所があるかもしれない。探してみよう。」

彼は市場を歩き回り、自分をここまで連れてきてくれた人たちのことや、もっとよい場所はないかを調べ尋ねました。人々は言いました。「あの人たちは誠実だから、そこにいるのがいい。」

けれども彼らのところにいるのは大変でした。商売で遠くまで出かけなければならないからです。

また歩いていると、服屋の店員たちが目に入りました。服屋の店員にはよくあるように、帽子には色々な飾りを付け、靴の先は尖り、歩き方にも身につけた物にもさまざまな飾りをしていました。頭が切れて鋭い彼は、これがとても気に入りました。かっこよかったからです。そして家の中でできる仕事だったからです。

そこで利口者は、自分を連れてきてくれた人たちのところへ行き、お礼を言いました。もう彼らのところにいるのはしっくりこないし、道中の奉公で恩返しは果たしたと伝えました。

利口者はある店主のもとで働き始めました。店員にはよくあるように、新米のころは稼ぎが少ないわりにきつい仕事をしなければならず、だんだん昇進していくのです。

店主は彼にきつい仕事をさせました。雇われ人によくあるように、顧客の家へ商品を届けるのを任されたのです。服を腕に抱えて運ぶのですが、これは彼にはとてもきつい仕事でした。ときには商品を担いで何階も上がらなければならず、仕事は彼にとって本当に大変でした。

彼は利発な哲学者だったので、こう考えました。「こんな仕事をして何になるのか。大切なのは目的があることで、それは妻をめとり、生計を立てることだ。だが、まだ考える必要はない。そのための時間は将来いくらでもある。今はこの国をめぐり、いろいろな国へ行って、世界を見て楽しむことだ。」

市場に行くと、商人たちが大きな馬車に乗っていました。「どこへ行くのですか。」「ラゴルナです。」「そこへ私を連れて行ってくれませんか。」「分かった。」

彼はラゴルナまで連れていってもらい、そこからイタリアへ船で渡り、さらにスペインへ向かいました。そうこうしているうちに何年も過ぎました。多くの国を旅したので、彼はいっそう利口になりました。

「今こそ目的を見つめるときだ。」と彼は考えました。自分の哲学をもとに、何をすべきか考え始めたのです。

彼は金細工の修行が気に入りました。すばらしく、かっこよく、知恵が込められた仕事だからです。しかももうかるのです。

彼は利発な哲学者だったので、何年も修行する必要はありませんでした。たった三ヶ月で技を身につけ、とても熟練した職人になったのです。そして師匠をも超えるほどの腕前になりました。

それから彼は考えました。「今はこのような技を身につけているが、これだけでは不十分だ。今は尊敬されているが、時が変われば、別のものが尊敬されるようになるかもしれない。」

こうして宝石加工の修行に出かけました。利発さのおかげで、この技もわずか三ヶ月で習得しました。

すると彼は自分の哲学をもとに考えました。「今は二つの技を身につけているが、どちらもやがて尊敬されなくなるかもしれない。いつの時代でも尊敬される技を学ぶのがよい。」

そこで彼は自分の利発さと哲学を頼みに思索し、いつでも必要とされ尊敬される医学を学ぶことにしました。医学を学ぶうちに、まずラテン語とその書き方を学ばなければならないことが分かりました。さらに哲学を体系的に学ぶ必要があることも分かりました。

それも利発さのおかげで、わずか三ヶ月で学び終えました。そして偉大な医師兼哲学者となり、あらゆる知恵に通じるようになりました。こうして偉大な職人、賢人、医者になったものの、世界は彼の目にはどうでもいいことのように思えてきました。

そこで彼は目的を定め、妻をめとろうと考えました。しかし自分に言い聞かせました。「もしここで妻をめとってしまったら、自分の成し遂げたことを誰が知るだろうか。家に戻って見せるのがよい。あの小さな子どもが今はここまで立派になったのだと分かるように。」

こうして彼は家に戻る旅に出ました。ところが道中とても苦しみました。利発すぎるせいで、話し相手が見つからず、自分の目にかなう宿もなく、とても苦しかったのです。

PS: つながる