ここで利口者の話はいったん脇に置いて、純真者の話を始めましょう。
純真者は靴屋の仕事を学びました。純真だったので、習得のためにはたくさん学ばなければなりませんでしたが、それでも完全に熟達することはできませんでした。彼は妻をめとり、この仕事で生計を立てていました。
純真で、仕事にそれほど熟達していなかったので、家計はいつも切羽詰まり、切り詰めなければなりませんでした。休みなく働かなければならず、食べる暇さえありませんでした。
仕事に完全には熟達していなかったので、仕事をしている時だけ、つまり靴屋が普通するように、千枚通しで穴を開け、太い糸を通す時だけ、パンを一切れかじるのでした。それでも彼は、いつもとても陽気で、喜びにあふれていました。
彼は食べ物も飲み物も服もすべて足りていました。「おまえさん、何か食べさせてくれないか。」と妻に言うと、パンを一切れ受け取りし、彼はそれを食べました。「蕎麦粥入りのスープをくれないか。」と言うと、またパンを一切れ受け取り、食べながら、褒めちぎって言うのです。「このスープはなんて美味しく、なんて素晴らしいんだ。」
同じようにして、肉やほかのごちそうを頼むと、そのたびにパンを一切れ受け取っては満足し、まるで本当にその食べ物を食べているかのように褒めちぎりました。パンを食べると、望んだどんな味でも本当に感じられるのでした。これは彼が純真で、とても陽気だったからです。
「おまえさん、ビールを飲ませてくれないか。」と頼んで水をもらうと、彼は褒めちぎりました。「このビールはなんて素晴らしいんだ。」「蜂蜜をくれないか。」と頼んで水をもらうと、また褒めちぎり、「ワインをくれないか。」と頼んで水をもらうと、それを本当にワインのように楽しんで褒めちぎるのでした。
服についても同じでした。夫婦に毛皮のコートは一着しかありませんでした。市場に行くときなど毛皮のコートが必要になると、「おまえさん、毛皮のコートを持ってきてくれないか。」と頼み、妻から受け取るのでした。人前に出るとき羊革のコートが必要になると、「おまえさん、羊革のコートを持ってきてくれないか。」と頼み、同じ毛皮のコートを受け取っては満足げに褒めちぎるのでした。「この羊革のコートはなんて素晴らしいんだ。」シナゴーグに行くときカフタンが必要になると、「おまえさん、カフタンを持ってきてくれないか。」と頼み、毛皮のコートを受け取っては褒めちぎりました。「このカフタンはなんて素晴らしいんだ。」外套が必要になるときも同じで、「おまえさん、外套を持ってきてくれないか。」と頼み、毛皮のコートを受け取っては満足げに褒めちぎりました。「この外套はなんて素晴らしくて、なんてきれいなんだ。」
そして万事がこの調子でした。彼はいつも喜びと明るさにあふれていたのです。
彼が靴を仕上げると、それは三角の形をしていました。技を完全に習得していなかったからです。それでも靴を手に取ると、彼はとても褒めちぎり、妻に満足げに言いました。「おまえさん、この靴はなんて素晴らしいことか、なんてすてきなことか。この靴はまるで蜂蜜や砂糖みたいだ。」
すると妻が尋ねました。「もしそうなら、どうして他の靴屋が一足三グルデンもらうのに、あなたは一グルデン半しかもらわないのですか。」
「それが私に何の関係があるというのだ。それはあちらの仕事、これは私の仕事だ。」と彼は答えました。そして続けました。「なぜ他人の話を持ち出すのか。それよりも、この靴でいくら純益があるか考えてみよう。革の値段はこれこれ、やにと糸の値段はこれこれ、糊の値段はこれこれ、ほかの品の値段はこれこれ。これで純益は十グロシェン。これだけ純益があれば、何も気にならない。」こうして彼はいつも喜びと明るさにあふれていたのです。
世間では彼は笑いの種にされていました。人々は彼を気狂いだと思い、好き勝手に笑いものにして楽しんでいました。彼を笑いものにするためにやって来て、わざと彼と話を始めたのです。
しかし純真者が「笑いものにするのだけはやめてください。」と言うと、人々は「笑いものになどしていませんよ。」と答えました。すると彼はその言葉を真に受けて、話し始めるのでした。純真だったので、これ自体が自分を笑いものにしていることになるのかどうかを深く詮索したくなかったのです。
彼らが自分を笑いものにしようとしていると分かると、彼はこう言いました。「あなたが私よりも賢いとしたら、どうだというのですか。まずはあなたが馬鹿ではありませんか。私が何だというのですか。あなたが私よりも賢いとしても、まずはあなたが馬鹿ではありませんか。」
(これがすべて純真者のやり方でした。ここから元の話に戻ります。)