先週の投稿でお話した「今を生きることの大切さ」に関連して、今を生きることを妨げることの中でも普通は気づかないでいることを1つ独立の投稿としてご紹介したいと思います。
日本には多そうな完璧主義が災いしてしまい、準備が完全に整うのを待つあまり、結局行動に移すことなく終わるという問題です。それではこの待機状態にある間、どこに行きているかというと、今を生きる代わりに自分の思考の中に生きているということになります。
前回の投稿でお話した過去の後悔と将来の不安という思考の中に生きているのとは異なりますが、今を生きていないという点では一緒です。
待機状態のままで人生を終わる極端だけれども珍しくもなさそうな例としては、今は嫌々ながら続けている仕事に対する一種のご褒美として、定年になったら自分の好きなことをしようという考え方です。例えば身体的健康といった定年前には想定していなかったような事情が生じてしまい、結局、定年後はその好きなことができないでしまったという例も何度も見たり聞いたりしてきました。
例えば仕事の分野で、今の仕事に代わる本当にやりたいことが見つかったのであれば、事情が許す限り、転職も考えてみるべきではないかと思います。私自身、そう痛感して、大学を早期辞職しました。単なる思考の産物で終わるだけかも知れない定年後の「安定」の代わりに、今を生きることを選択したと言うこともできます。
もし大学で定年まで勤め上げることにしていたとしたら、牢獄になってしまった職場に10年以上もの間囚われたまま、定年後の「安定」のためだけに今を生きることを犠牲にすることになっていたと思うと、今でもぞっとします。
このようにその後の人生を大きく左右するような場面以外の普段の生活でも、待機状態のままで、今を生きることを犠牲にしてしまっていることは色々あります。例えば、待ち合わせや乗り物の出発時間が近づいてくるとそわそわしだして、心が今にあらずという状態になることです。
日常生活でのこうした小さなことで今を生きることを犠牲にし続けていれば、それが積み重なって、常に待機状態のままで人生を終わってしまう危険性があることは想像に難くないはずです。これを避けるためには、旅は目的地に着くことだけでなく、道中を一瞬一瞬楽しむことも大切なのではないでしょうか。