私がエルサレムで学び、ユダヤ流人生の知恵として「蒸留」した形で日本にも伝えようとしているハシディズムの教えによれば、皆に共通の、人生において最も大切な2日があります。その1日は生まれた日で、もう1日はなぜ生まれたかが分かった日です。
そんなに大切な日ならば、生まれる際に、例えばへその緒にでも、なぜ生まれきたかを書いていてもらえればありがたいように思えますが、その答を自分で見つけること自体も大切なのです。課題に取り組んでいる際に、答を誰かから教えてもらう場合と自分で見つける場合とではありがたみが違うのと同じことです。
なぜ生まれてきたかには2種類あります。人生の使命と人生の目的です。簡単に言えば、人生の使命とは、世のため人のために自分に何ができるかで、人生の目的とは、例えば忍耐と共感といったように、どんな徳を高めるかです。
どちらも大切な問ではあるものの、大切であるがゆえもあって、その答にたどり着くのは簡単ではありません。実際、多くの人はこの2日目を迎えることなく人生を終えてしまっています。
かく言う私自身、人生の使命に気づいたのは今からちょうど7年前にエルサレムでグループで受けたユダヤ式ライフコーチングのおかげでした。これに照らし合わせて当時まだ勤めていたイスラエルの大学の仕事をあらためて見直してみると、それは人生の使命を果たすための手段・方法ですらないことに気づき、あっさりと大学を早期辞職したことはすでにお話した通りです。
人生の目的の方は、今から1年半ほど前に自然の中を1人散策していると、突然2つの言葉が言ってみれば「降りて」きました。そしてこれに照らしてこれまでの人生の試練をこれまた見直してみると、とても理にかなっていることがはっきりしました。
いわゆる「成功」つまり自我の願望を叶えることが人生の目的であるとか、他の人たちにそれを叶えてあげることが人生の使命であるとかと思って頑張っている人たちを見ていると、とても歯がゆい思いです。
もちろん、自我の願望を叶えたり、叶えてあげたりすることがそれ自体悪いことだというわけではありません。でも、これらを人生の目的と人生の使命にしてしまうのは、壮大な勘違いになってしまうことになるのです。そしてそのことに人生最後の日に気づいてしまったとしたら、後悔しても後悔しきれないことは想像にかたくありません。
こう書くだけだと、恐怖を煽っているだけにも受け取られかねないので、人生の目的と人生の使命を見つけてもらうためのライフコーチングも提供しています。私自身、もっと若い頃に受けておきたかったと思う反面、様々な人生体験を経た後でなければ、本当には理解できなかったかもしれないとも思わざるをえません。