死という言葉は私たちの心に恐怖を与えます。死は理解できないものであると同時に、避けられないものだと思われているからです。死について語ることも、死という言葉を超えてその意味を考えることも、ほとんどできないでいいます。多くの人が生を身体が活動している状態としか考えていないので、この反応は理解できます。しかし私たちは、死とは何なのか、遺族はどのように対応すべきなのか、と自分に問いかけてみなければいけません。
死の謎は魂や人生そのものの謎の一部であり、死を理解することは人生を理解することにほかならないのです。生きている間、身体は魂によって生かされています。しかし魂は肉体の死後はその制約を受けず、これまで通り生き続けるのです。そして人間の本質は魂にあり、地上での責任を果たした後はより高い状態へと昇華していくだけなのです。
ですから、死とは何かという問に答える前に、私たちはまず生とは何かと問わなければいけません。医学的な定義では、生は脳と心臓が機能している状態のことです。しかし人間は生物学的に生きていても、全く生きていないことがあります。呼吸をしたり、歩いたり、話したりすることは、私たちが生と呼ぶものの現れでしかないのです。生の真の源であって、肉体を機能させるエネルギーは魂なのです。そして魂は不滅で、肉体の死によって生の現れが停止しても、魂は形を変えて生き続けるのです。
物質的な利益のみを目的とする人にとって、死はまさに「終わり」です。それはすべてのはかない成果が停止する時です。しかし生はまずは霊的なものであると考えている人にとって、生は決して終わることはないのです。魂はその人が地上で行った善行の無尽蔵のエネルギーを燃料とし、そしてその霊的活力を永続させてくれる子供たちや他の人々を通しても生き続けるのです。
私たちは肉体的生を霊的生つまり真の生と混同しがちです。肉体的生に伴う物質的な装飾に気を取られてしまいます。しかし肉体を離れた魂は、まだこの世に残っている人々が霊的に生きるようにと鼓舞し続けることができるのです。だから徳を積んだ人は肉体的にこの世を去てからの方が深い影響を及ぼすのです。