2026-09-11

ハシディズムが教える人生の知恵 その14 隠された善

悪いことだと思っていたことが後になって実は良いことだったという経験は皆さんもおそらくお持ちでしょう。例えば、ある「扉」が開かなかったおかげで、もっと良い「扉」が開いたとか、開いていたら遭遇していたであろう問題を避けられたとか、あるいはある苦難や挑戦に遭遇したおかげで、自分でも気づかないでいた隠された自分の力に気付いたとか。

とはいうものの、苦難や挑戦の渦中にあると、その中に隠された善には気付かないのは普通です。それはひとつには私たちの視野が狭いからです。そのせいで全体像が見れていないのです。

こうした視野の狭さは子供の視野の狭さにも比べられるでしょう。安全のためにとナイフを親から取り上げられた子供は泣いてしまうかもしれません。で、子供と大人の間にはある大きな違いがあります。それは大人には自分の視野の狭さを自覚することができるということです。

まずはこうした自分の制約を自覚したら、世界は言ってみれば私たちの背中を常に押し続けてくれているのだというように考えて、人生で遭遇する苦難や挑戦にも接していくようにすれば、これまでは気付かないでいた隠された善にも少しずつ気付くようになるものです。

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2026-09-04

ハシディズムが教える人生の知恵 その13 最終目的地

私たちは普通どうしても結果ばかりに目が行ってしまいがちです。そうなると、いくら頑張っても望むような結果が得られなかった場合、その努力は無駄だったと思ってしまい、ひいては落ち込んでしまうということになります。

しかし、「結果がすべて」というこの「方程式」は、肉体を介した経験を通して霊的成長を遂げることが本当の目的である「人生の旅」には幸い当てはまりません。

この目的のために一種の「バーベル」として機能する自我の抵抗、あるいは様々な衝動や誘惑を完全に断ち切ることはできません。結果よりも、そのために注ぎ込んだ努力の方が大切になるのです。最終目的地よりも旅自体が大切であると言い換えることもできます。さらには、旅自体が最終目的地であるとも言うことができます。

こうした衝動や誘惑との戦いは1回きりのものではなく、一生絶え間なく続くものです。1回勝利を収めたからといって、油断していれば、すぐに負かされてしまいます。

衝動や誘惑全体を完全に打ち負かすことは、私たちにとって非現実的な目標です。代わりに、それがたとえどんなに些細なものであっても、衝動や誘惑をその都度1つ1つ打ち負かし続けることが現実的な目標であり、ひいては人生の最終目的地であるとすら言うことができます。

こう考えれば、個々の戦いに仮に負けてしまっても、それで落ち込んでしまうということも避けられるはずです。逆に、個々の戦いに仮に勝ったとしても、油断は禁物です。

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