2026-07-31

ハシディズムが教える人生の知恵 その9 努力指数

皆さんはご自身が人生をかけて頑張り続けている分野でご自身よりも才能に恵まれた人を見たらどう感じられますか。このような場合、羨ましさを感じた経験はおそらく誰にでもあるはずです。

例えば、ある言語を懸命に努力をして学ぼうとしているにもかかわらず中々上達しないのに、さほど努力をしているようには見えないのにどんどん上達していっている人を見てしまった場合とかです。羨ましさだけでなく、不公平感さえ抱かれたかもしれません。

言語学習といった実利がからむ分野では、たしかに天賦の才能を持った人の方が、それを持たずにより多くの努力を強いられる人より恵まれているのかもしれません。ところが、霊的成長のための学びにおいては、一見すると逆説的ながら、後者の方がより恵まれているとすら言えるのです。

それは努力指数とでも呼べるもののためです。天賦の才能のお陰で楽に学べる人は当然努力の量も質も少なくて済むことになります。ところが、霊的成長のためには、学びにより多くの努力を強いられる方が寄与することになるからです。

つまり、霊的成長の鍵は試練にあるということになります。試練に遭遇して初めて、それを克服するための努力を続けていくうちに、これまで自分での気付かなかった力に気付いた経験は皆さんもおそらくお持ちではないでしょうか。

このように考えれば、そもそも自分と他人を比べるということ自体が無意味であるとすら思えるようになるはずです。比べる時間を努力を続けることに使った方がはるかに生産的です。

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2026-07-24

ハシディズムが教える人生の知恵 その8 思考の制御

自分でも知らないうちに邪念・雑念・否定思考が次々に頭に浮かんできて、それをやめようと思えば、こうした思考は逆に増えたり、居座り続けたりするという経験はおそらく皆さん誰でもお持ちではないでしょうか。例えば、何かの本番前に出てくる、「大丈夫だろうか」とか「失敗してしまうのではないだろうか」といった否定思考です。

思考は、普通自分の自由意志で行われるものではないという意味で、よく消化や呼吸に例えられます。それでは思考、特に否定思考は本当に制御が不可能なものなのでしょうか。答は、簡単ではないものの可能である、というものです。

それでは、一体どうすれば思考を制御することができるのでしょうか。2つの方法があります。1つ目は予防対策で、2つ目は応急処置になります。

1つ目の予防対策というのは、そもそも否定思考が出てこないようするための方法です。それは、普段から工程思考を抱くように、自分を少しずつ慣らしていくのです。頭が肯定思考で一杯になれば、否定思考が入り込む隙間はなくなります。

2つ目の応急処置というのは、こうした予防措置にもかかわらず、否定思考が出てきた時に、それを駆除する方法です。多くの人がしてしまう間違いは、否定思考を駆除しようとして、それと直接対決してしまうことです。これでは逆に否定思考が増殖してしまうという皮肉な結果になってしまいます。この代わりに、出てきな否定思考を無視し、受け流すのです。

さらにそれでは、なぜそもそも否定思考の一体何がそんなに問題なのでしょうか。間違った行動を取ってしまうことに比べて、否定思考を抱くことは比較的簡単です。そしてこうした否定思考は往々にして間違った行動につながってしまうことが問題なのです。

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2026-07-17

ハシディズムが教える人生の知恵 その7 機敏さ

機敏さ、つまり必要以上に考えすぎて行動をいつまでも先延ばしにする代わりに、必要最低限のことを考えたらできるだけすぐに行動に移すことには、せっかくの機会を逃さない助けになるという以外にもある強い助けになってくれます。それは、本当の自分の成長になることをやろうと思っていると決まって聞こえてくる自我の「甘い」ささやき声に邪魔をする隙を与えないということです。

こうした自我のささやき声が聞こえてきた際に、それに聞き耳を立てていると、不安や疑念ばかりが募る一方で、集中力ややる気も削がれていって、行動のための第一歩がますます踏み出せなくなるという、悪循環に陥ってしまいます。こうした悪循環に陥ってしまわないにするには、自我のささやき声に乗せられてしまう前に行動に出るのです。

さらには自我からすら学ぶことができます。皮肉にもそれがまさに機敏さです。自我の場合、私たちが少しでも行動をためらっていると見るやいなや、行動を妨害するためのささやき声をすぐにかけてくるのです。本当の自分の成長を遂げらると、自分の生き残りに脅かされることになるので、自我も必死になって機敏に反応してきます。これを見習って、私たちも自我に邪魔をする隙を与えないように、機敏に対応すればいいのです。

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2026-07-10

ハシディズムが教える人生の知恵 その6 自由選択

私たちには何でも本当に自由に選択できるのでしょうか。皆さん、どう思われますか。

確かに、何をするかは基本的には自由に選択できるかもしれません。でも、その選択をするに至った状況、つまり自分に何が起こるかは普通は自由に選択することができません。これは社会全体に起こることにも個人個人に起こることにも当てはまります。

さらには、「何をするかは基本的には自由に選択できるかもしれません」というふうに、「基本的には」という言葉を添えたのは、何をするかすら自由に選択できていない場合が少なくないからです。それはどういう場合かというと、一時の感情に支配されて何かをする場合です。例えば、かっとなって、人を殴ってしまったり、暴言を吐いてしまったりといった場合です。つまり、どういう感情を抱くかは多くの場合自由に選択できるものではないのです。

ではこうした場合、私たちが自由に選択できるものとして一体何が残されているのでしょうか。それは理性に感情を制御させることを選択することです。自分では自由に選択できない状況に対して、感情に支配された状態で何かをしたり言ったりすることを反応、感情を理性の制御下に置いた状態で何かをしたり言ったりすることを対応と呼んで、言葉でも区別しておくことにしましょう。そして反応は自由選択の結果でないのに対して、対応は自由選択の結果だということになります。

大切なのは、自由選択の余地がないものを制御しようとするのではなく、自由選択が可能なものを制御するように自分を慣らしていくことです。実行は簡単ではありませんが、最初から大きな変化を目指す代わりに、毎回小さな変化を目指すことで、反応から対応に少しずつ変えていくことは可能なのです。

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2026-07-03

ハシディズムが教える人生の知恵 その5 小さな目標

本当の自分の成長のために大きな目標を掲げたものの、そのせっかくの志を挫折させようとする「甘いささやき声」がすぐに聞こえてくるだけでなく、その声は日に日に大きくなり、結局あえなく挫折したという経験はおそらく皆さんもお持ちではないでしょうか。

なぜこうなるかというと、本当の自分の成長を遂げらては自我は困るので、自らの生き残りをかけて邪魔をするからです。こう考えると、なぜ掲げた目標が大きければ大きいほど、自我の抵抗が大きくなるのかも分かるはずです。さらに言えば、自我の抵抗が大きければ大きいほど、本当の自分の成長のためには正しいことをしているということにもなります。

それでは、自我の必死の抵抗を回避しつつ、掲げた大きな目標を叶える方法はあるのでしょうか。答はありますです。それはどういうものかと言うと、大きな目標をいくつもの小さな目標に分けて、それをひとつずつ確実に叶えていくのです。

例えば、大きな目標は叶えるのに1年、あるいはそれ以上何年もかかるようなものだとしたら、それに至るための小さな1歩として、1ヶ月、1週間、あるいは1日でできる小さな目標を立て、それを1つずつ確実にこなしていくのです。小さくても1つでも目標を叶えれば、それは確実に自信につながり、それがさらなる動機にもなります。

大きな目標には脅威を感じる自我でも、こうした小さな目標には脅威を感じることは普通ありません。個人的に気に入っている例えを使えば、カエルを茹でるのに、最初から沸騰したお湯に入れようとして逃げられる代わりに、最初は冷たい水に入れて、少しずつ熱くしていけば、カエルは自分が茹で上げられていっていることに気づきません。

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