2026-05-08

ブラツラヴのラビ・ナフマンの寓話 利口者と純真者の話 その5

利口者は王から手紙を受け取ると、届けてくれた利口者に答えました。「待ってくれ。ここに泊まってくれ。話をしてから考えよう。」

その晩、彼は使いのために大きな宴を催しました。宴の最中、利口者は自分の知恵と哲学で頭をひねりました。「この王が私のような取るに足らない者のところに使いをよこすとはどういうことなのか。使いをよこしてもらう私とは一体何者なのか。王には権力も栄誉もある。このような偉大で畏れ多い王に比べれば、私などつまらない者だ。その私のところにどうして王が使いをよこすのか。辻褄が合わないではないか。もし私の知恵のゆえだとしても、王に比べれば私は何者だというのか。王には賢者たちがいるだろうし、王自身も大いなる賢者に違いない。その王が私に使いをよこすとは一体どういうことなのか。」こうして彼はとても当惑しました。

この利口者は言いました。「私が何を言おうとしているか分かるだろう。世界には王なんてまったく存在しないと考える方が辻褄が合うのだ。王がいるなんて馬鹿げたことを信じている世界の方が間違っている。考えてみてくれ。世界中の人がみな一人の王に自らを捧げるなんてあり得ないことだ。」

利口者の使いは答えました。「私は王からの手紙を持ってきたではありませんか。」

利口者は尋ねました。「お前は王本人から直接手紙を受け取ったのか。」使いは答えました。「いいえ。王の名義の手紙を別の人から手渡されました。」

利口者は言いました。「私の言うことが正しいのを自分の目で確かめてくれ。王なんて全くいないのだ。」そしてさらに尋ねました。「お前は都の出身で、そこで育ったのだな。生まれてこのかた、王を見たことがあるか。」使いは答えました。「いいえ。」

(まさにその通りで、王はごくまれにしかお顔を見せられず、誰もが拝謁できるというわけではないからです。)

利口者は言いました。「私の言うことが明白で辻褄が合うのが分かるだろう。王が全くいないことは確かだ。お前ですら王を一度も見ていないのだからな。」

利口者の使いはふたたび尋ねました。「もしそうなら、誰が国を治めているのですか。」

利口者は答えました。「このことに詳しい私に尋ねているのだから、はっきり話そう。私はいろいろな国を回り、イタリアにもいたことがある。そこではこういう習わしだ。顧問相が七十人いて、一定期間ずつ国を治める。そしてこの職務を国民皆が交代で果たすのだ。」

彼の言葉は利口者の使いの耳にしみ込み、世界には王などいるはずがないという思いは二人とも揺らぎませんでした。

利口者はさらに言いました。「朝まで待ってくれ。世界に王がいないことを、もっとはっきり説明しよう。」

翌朝、彼は早く起きて使いを起こし、言いました。「私と一緒に外へ行こう。王は全くいないこと、世界が皆まちがっていることをはっきり見せてやろう。」

二人は市場へ行き、兵士を見つけて捕まえました。「誰に仕えているのか。」と尋ねると、「王にです。」と答えました。「これまで王を見たことがあるか。」と尋ねると、「いいえ。」と答えました。利口者は使いに言いました。「見なさい。こんな馬鹿なことってあるか。」

さらに軍の将校のところへ行き、同じように尋ねました。「誰に仕えているのか。」「王にです。」「これまで王を見たことがあるか。」「いいえ。」利口者は使いに言いました。「皆が間違っていることを自分の目で見ただろう。世界には王など全くいないのだ。」

王など全くないという思いは二人とも揺らぎませんでした。利口者はさらに言いました。「世界を旅しよう。世界が皆どう大間違いしているか、もっと見せてあげよう。」

二人は世界を旅に出かけ、どこへ行っても人々の間違いを見つけました。王の話を例えにして、「王がいるということが真実であるのと同じくらいこれも真実だ。」と言うのでした。

彼らは手持ちの物が尽きるまで旅を続けました。最初は馬を一頭、次にもう一頭と売り、ついにはすべて売り払って、徒歩で旅をせねばならなくなりました。つねに世界を研究しては、間違いを見つけるのでした。そしてついには歩き続けるだけの貧乏人となり、かつての地位を完全に失いました。そんな貧乏人に目を向ける者はもう誰もいませんでした。

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