私たちには何でも本当に自由に選択できるのでしょうか。皆さん、どう思われますか。
確かに、何をするかは基本的には自由に選択できるかもしれません。でも、その選択をするに至った状況、つまり自分に何が起こるかは普通は自由に選択することができません。これは社会全体に起こることにも個人個人に起こることにも当てはまります。
さらには、「何をするかは基本的には自由に選択できるかもしれません」というふうに、「基本的には」という言葉を添えたのは、何をするかすら自由に選択できていない場合が少なくないからです。それはどういう場合かというと、一時の感情に支配されて何かをする場合です。例えば、かっとなって、人を殴ってしまったり、暴言を吐いてしまったりといった場合です。つまり、どういう感情を抱くかは多くの場合自由に選択できるものではないのです。
ではこうした場合、私たちが自由に選択できるものとして一体何が残されているのでしょうか。それは理性に感情を制御させることを選択することです。自分では自由に選択できない状況に対して、感情に支配された状態で何かをしたり言ったりすることを反応、感情を理性の制御下に置いた状態で何かをしたり言ったりすることを対応と呼んで、言葉でも区別しておくことにしましょう。そして反応は自由選択の結果でないのに対して、対応は自由選択の結果だということになります。
大切なのは、自由選択の余地がないものを制御しようとするのではなく、自由選択が可能なものを制御するように自分を慣らしていくことです。実行は簡単ではありませんが、最初から大きな変化を目指す代わりに、毎回小さな変化を目指すことで、反応から対応に少しずつ変えていくことは可能なのです。